×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

BACK

目次 「小説集 単なる批評家 違和視 他」

前書

 無理解について、かつて思い悩んだ時期に認《したた》めた短編です。
 内容は次第に陰鬱かつ、文にならない文となります。

2014-12-16に、このHTMLを作成。

単なる批評家

 主人公の画家は、自分なりの描き方で作品を作る人であった。現在はインターネット上に作品を発表している。
 人はコメントを付ける。「下手」「味のある絵ですね」「何か良く分からないけど、こういうのを描けるのが凄いです」
 ほめて下さっても、時折それが分からなかった。良い意味で云って下さっているのか、悪い意味で云って下さったのか。
「もっとがんばりましょう」
「基本の型をわざと外す、型破りがしたいと見受けられます。ですが貴殿の場合はそもそも基本の型をご存じないかのように見受けます。唯、理解が足りなくてやっているようにしか見えません。よく勉強することをすすめます。」
「画家としての基本的な画力が不足しています。デッサンをやった方がいいですよ」
 画家は落胆した。諦観の念で呟く。
「そうではないのだ……。自分の常識のままで作品に接しても意味は無いのだ……。新たな価値観をもってして込められている。そこへ既存の価値観のまま来ても本末転倒だ。
 人は評価をしたがるらしい。新たに感じ取ること、新たに学ぶと云うこと、忘れている様子であった。たとえ批評しようと、それが個人的好き嫌いの延長に過ぎないならば意味はない」

 画家は夕食をとる。となりから声が聞こえる。
「なぁ、これ、炭酸すっかり抜けてるじゃん!」
「そりゃあ、お茶ですから」
「色だって全然黒っぽくないし」
「そりゃあ、緑茶ですから」
「コーラの味がしないよ、これ」
「当たり前です。緑茶なんですから。コーラが飲みたいならコーラを飲んで下さい」
その一連の会話を耳にした画家は、はたりと得心《とくしん》のいく心持ちがした。
 画家も茶を喉へ流した。ややあって少し哀しい顔付きのまま俯《うつむ》く。
「人間など、そう云うものだ」
また一層、失望感を重ねた画家であった。

2014年7月22日

違和視

   1
 以前起こした暴行事件から、了《りょう》は学校に来られなくなった。了と親しい円《つぶら》と云う生徒へ、先生は云った。
「このままじゃ了は社会の落後者になるよ。何とか学校へ来るよう説得してくれ」
 了の話題が出て生徒たちは口々に云った。「ズル休みでいいよな」「気楽なもんだな」
 円はキュウリや大根などの野菜を持って、了の家に来た。冷蔵庫や戸棚の中に食料はもうなかった。水道はまだ止められていなかった。が、出るのは汚れた水ばかりであった。円は持って来た野菜を冷蔵庫へ勝手にしまう。了は既にやせ衰えているにも拘《かか》わらず「いらないのに」と云った。

   2
 円は厂《かん》と云う生徒に話しかけられた。
「了さんは今日も休みですか?」
「そうらしいですね」
「了さん、格闘技が卓越してますよね」
「はぁ……」
「僕は尊敬しているんです。凄いと思ってるんです!」
「そうですか」
「僕は一度もまともに了さんと話したことなくて。円さんは了さんの親友だと聞きました。了さんと会えるように手筈《てはず》を整えてくれませんか?」
「了は会いませんよ」
「そこを何とか……」
「う〜ん……、手紙でも出してみるのはいかがでしょう? 誠意が伝われば、また話は違ってくると思います」
「誠意、ねぇ……」
厂は眉間にしわを寄せた。

   3
 明くる日も円は了の家を訪ねた。いつもと同じく軽装の了が出迎える。家には了しかいないらしい。家族はどうしたか分からない。
「こんにちは……!」
円が云ったのではない。円の背後から厂が出てきた。
「厂さん、付けてきたんですね」
「すいません。どうしても会いたくて」
 了は訝しむ表情で厂を見ていた。「そちらは?」了が聞く。厂は簡単な自己紹介をした。円も交えて話した。いくらかの警戒心を解いたのか、ようやく了は厂を家に入れた。
 それから熱心に厂は、尊敬の眼差しで、いかに了が戦術・格闘に長けているのかを滔々《とうとう》と語った。そうしているうち、了も少しずつ打ち解けてきたと見え、ぽつりぽつりと喋ることもあった。やがて外に闇も現れ始めた頃。
「おっと、もうこんな時刻で。ごめんなさい、僕だけ喋りっぱなしで。では失礼して帰ります。またいつか、こうして語らえると良いですね。」
了が答える、「また明日。」
「ええ、ではまた明日に。」
厂は帰って行った。
 円が聞く。「どうです、厂さんは?」
「悪くない人だと思うよ。」
良い印象を受けたらしい。

   4
 また次、その次と、毎日のように厂は了へ会い、色々なことを語らっていた。この二人は話が合い、気も合う様だった。反面、円は了と話す機会が減り、少し物哀しさを感じた。が、了の以前より笑顔の増えたことを知るだけで十分であった。このまま良い間柄が続けば良いなと円は思った。
 或日、下校ついでに了の家を訪ねると、珍しく厂は来ていなかった。のみならず、また了の表情に陰りが表れていた。
「どうかしましたか」、尋ねる。
しばらくの沈黙ののち、了は一つ呟いた。
「――人は分かり合えない。」

   5
 或日教室で厂は手紙らしきものを認《したた》めているのを見かけた。了と何かあったと聞くと、唯、ニコニコしているだけだった。
 放課後に了の家へ来た。中に通され居間に入ると、了は手紙を読み始めた。
「もしかして厂さんの?」、了は肯《うなず》いた。
手紙を読む了の表情は暗かった。心配そうに円が見ていると、了は手紙を円の方へ放った。円は手紙を手に取る。了は部屋の奥へ行き、ベッドへ倒れこむように横になった。
 手紙の内容は了に対する批判であった。暴力で物事を解決することはいけない、と断じていた。了が向こうから云った。
「意味ないよ。そういう批判なんて。唯分かったことを云うだけじゃダメ。私は分かった上での行動なのに、相手はそこまで到っていない。口で云ってもダメだった。言葉は無意味。」
 少々むしゃくしゃしておられた。
「理想や正当を云ったって、現実を目前にしてないんだもん。武力も時に必要。話し合いだけで解決しないときだっていっぱいある。攻撃してくる相手に話し合おうとしたって、唯やられるだけだよ。考えが、現実から離れているんだ。」
「厂さんと仲違いをしたんですか?」
「そう――かもしれないね。意見の相違に過ぎないと始めは思っていたけど」
「人はそれぞれ価値観や思想が異なるものですよ、了。」
「うん――。相手を理解することはできないかもしれない。だが相手を察することはできそうなもの。厂は自分の常識で相手もその型にはめこんでしまった。自他は文化の違いがあると云うことを認めない様子だった。自分の価値基準で他人も決めつけていた。――もちろん、それが現状の人間の欠陥だってことも予想は付く。唯――それでもそういう人間の性質を実感する度、残念と嫌悪を感じる。」
「――」
「私は今までのように噤んでいれば良かったのかもしれない。言葉なんて無意味だ、受け手の解釈で都合良く改ざんされてしまう。それに大抵の人間が、単なる批評家に成り下がっている。他人を批判するばかりで、そこから学ぼうとしない。学ぶことを忘れた人間は劣化するだけだよ。」
 そこまで話したあと、まだ話し足りなそうに何か云おうと云おうとしていたが、止めて、窓から空を眺め始めた。
「あまり考え過ぎないで下さいよ?」
「うん――。」 それからまた少し呟く。「余計なことを口にせず。――他人と深く話し合わず。――結局、人間をまともに相手にしていたらダメってことかな。何か不毛だったよ。」
「人はただの動物ですよ。それくらいの付き合い方でよろしいのでは?」
「そうだね。人は表面的なことに踊らされる。言語にも踊らされている。言葉で云い表わしたって、どうとでも話をつなげられるもので意見交換なんて、実際的なもの以外、できっこない。」
 陽が落ち夜になっていた。円は泊り込むことに決め、夕食の用意に取りかかった。難しい顔をしていた了も、そこでようやく朗らかな顔付きになった。何でもない平和こそ、心穏やかな一時《ひととき》だった。

二〇一四 七

   添書き
・人名は画数少ないものが選ばれた。書き綴る効率性のために。

人知尽

   補足
 この短編では、構想メモと本文が入り混じる内容です。文にならない文です。

・テーマ:「人と関わることに不毛だとして、世界に対し、傍観者となることを決めた人の物語」
・主人公仮名『久』《ひさ》
・久《ひさ》は人との関わりに不毛さを見出していた。それはじわじわ、どう仕様もないほどであると気付いていった。
・人をシステムだと考える思考もたくさん混ぜる。独白に近いものにしようか。ポーやドストエフスキーのような。

 あくまで人は、人のシステムに――云うなれば人間システムで動いているに過ぎないことを痛感するばかりであった。
 果たして、もうこれ以上関わるイミはあるのか。ないと思った。必要最低限の関わり以上は、無用だと。久は常々考えた。人類の居なくなった世界を。誰もいない世界を。それが一つの理想郷であった。
 人間は、社会的つながりを欲する生き物だと仰る。それにはいつも違和感があった。そのような主張を見かける度、自分と他人は別の種類の生物らしいと感覚的にそう思った。
 孤独と云う存在も、今では妙だ、と思う。「他人がいるから孤独なのだ」と感じる。始めから”我ここに確固としてあり”、と云う存在の人間ならば、――少なくとも久には、孤独のネガティブさはない。他人がいるから独りのネガティブさを表わす価値観となるだけで、他人の消滅とともに消滅する。久にとってはそう云うものだ。
 雨が降り、雲が出て、晴れ渡る。風が吹く。それからしたら、人間個人々々の言動の虚しさがある。人類規模の処理に意味を感じつつも、個々人は不毛を連発する。大きな存在としての人間には意義があり、小さな存在としての人間には意義が多少。ややこしく、それと人間レベルで見れば、異なる。人のレベルと人知を超えたレベル、その話は通じない。――なるほど、そう云うことだから一部の人間の一時状態下では、感覚思考水準の違いにより話がかみ合わず不毛となるばかりであった。のみならず、その人間の、人知超越状態は、おぼろであり、間もなく人間レベルと混ざってしまい、使い物にならなくなる。どうもそれは、人と関わることで、人のレベルに戻される様子であった。違う云い方をすれば、内なる声を閉ざしてしまう。
   *
「超越的世界観」とでも云うものかもしれない。
 久は、この世界の、この時代の人ではなかったかもしれない。この世界の人々は遠く、異郷の方々であった。或は久には、生物よりも無生物に親しいのかもしれない――岩とか。
 徐々に意識のみが世界をさ迷っているのを久は感じた。のみならず、人の状態では気付かないものも理解することができるようになった。それは理解とも違う理解であった。何とか言葉を探して、「唯そこにある」と云い表わせるのみだった。
 人の用いる言語その他では表現不能の、形にならない感慨に近いものだった。ゆえに、人に伝えることはムリ。すなわち既にそれを分かるものにしか分からない。が、それでも言葉による意思疎通は不毛さの多いものだった。なぜなら、言語レベルに中身を落としてしまい、空疎なものへしてしまうから。それもまた現状の人間の限界だった。
   *
 久は抽象世界それとも形而上世界だろうか――いつしかそこをさまよった。――〜〜もはや、この文字媒体の表現法では、かすかしか描写はムリだった。が、雰囲気や感のみで描く――
 人間レベルのイメージにおとして変換すれば、そこは雲の世界と云った所だった。その雲は空の雲でも無い。地球の周りでも無い。が、一体でもある。次元の違う層に配置されているイメージでも良い。久はもはや身体を持たない。そう云う存在ではなくなった。(体は有無両方でも否定でも可)。「唯ある」と云う言葉が一番良く表している。
 人々は、やはり依然として人間システムに則《のっと》った動きをしているものがほぼ全てであった。ごく稀にそこから逸脱して下さる存在が現るも、もののすぐに人間システムに逆らえないと見え、仕様通りの動きに戻った。
 久は人々の接触を止め、世界に対しての傍観者となった。もう常人としての久はいない。そもそも、いる・いないの不定的存在だった。人の形をしていた頃の久以上に、人からは理解されないし、それ以前に認識すら不可能であろう。が、久は満足な状態だった。いいや、満足と云う人の型すら、もう形をなさない。久は唯そこにある、と云う、人間の感覚や想像力の外にいるものになったのだから。
 ――そして、ここに一人、その超越的存在になった久に憧れる者がいた。

2014.8.1

静謐な空間

・全人類ひきこもり世界、という未来像も想像。[影響、アンディー・メンテ]

 或未来の様子だった。
 そこは一見都市のようだった。が、人らしい人がいない。時折遠くで機械の動作音がしばし聞こえてくるのみで、生物らしい者は無であった。
 ここは、とんでもなくでっかいドームで包まれている。訳は調べていない。由来は興味を引かなかったからだ。とにかくそのおかげで、病原菌のみならず、虫すらドーム内には入らない。さらに云えば、巡回ロボットによって、極めて稀に入り込んだ虫も除去される。
 あとは……何を書き出せば良いか……?
 そうだ。道は整備されている割に、車が走っていない。代わりにわずかなすきまから見えるチューブのようなもので、物資を行き来させている。人は行き来していないようだ。医療はどうなっているのだろう。
 ところでこの道は、コンクリともアスファルトともつかない材質だ。強いて云えばプラスチックに近い。驚いたのはそこではない。わずかなゴミすら落ちていないし、汚れてもいないことだった。もしかすると、大抵の家の床よりもきれいかもしれない。巡回ロボットの清掃技術は目を見張るものがあった。人目には、唯、通り過ぎたようにしか見えない。それで、きっちり掃除を行っているようだ。
 さて、場所を移動するかな――

 さて、移動した。ところで”人がいない”と云うことで読者さん方は、「そちらでは人はどう暮らしているのか?」と、気になったことと思う。気にならない、興味を持たれないならそれでも結構。そう云う人は、この紀行文そのものにも関心をなくすだろうから。
 そう云う前置きをした、察する通りの場所へ来ている。ここは、読者さんの世界時代で云う、マンションかアパートに相当する所だ。こちらの言葉ではXXX、――どうやら表記不能のようだ。仕方ないので描写でつづる。この施設は、もうアパートと云う外観でも内装でもない。病院と云えば近いだろうか――? そうでもない。ううむ……。すまない、ちょっと面倒だが、読者の想像力を少し多めに要求する。よいか? まず3Dの空間を想像空間の中に立ち上げてほしい。まずは何もない空の空間だ。そこに巨大ビルくらいの巨大長方体を一つ、配置して頂きたい。向きはどちらでもいい。なぜなら想像とは、初めから人それぞれ違うものだ、と諦めているからだ。読者方の、満足いく形ならばOKだ。さて長方体を配置したようだ。次に、畳の目のようにパイプと云うかチューブと云うか、それを縦横無尽にでたらめに配置する。そこにまるで、リモコンのボタンもしくはパソコンのキーボードのボタンのように、ずらりと小箱が散らばるように並ぶ。各小箱にパイプが寄り添う。その各小箱こそが、各部屋だ。――と云う訳で筆者は今パイプの中を歩いている。ここは歩道式だ。歩くためのパイプだ。他にも色々なパイプが出たり消えたりしている。たまにエスカレータのパイプもあるから、そちらが便利だった……。相変わらず、人とは会わない。
 さて、大分説明が遅れたが、なぜ人と出会わないか。それは皆、閉じこもっているからに過ぎない。なぜ――? その「なぜ?」には人なりの答えがあるだろう。筆者は、「人それぞれ何かしらの理由がある」と云うことで納得している。そう云うものなのだろう。
 ところで、防音のためかどうか知らないが、この住み家は、この廊下に当たるパイプの中でも、静かだ。人の生きている気配はない。昔――筆者の住む世界の昔――昔は幼子がうるさく叫ぶ声の一つ二つあるものだった。が、ここでは蚊の飛ぶ音すらない。なかなか静かを好む方には良い所だろう。
 筆者は、ここへ住もうかと考えたので、大家さんを探しているのだが、どうやら存在しないらしい。勝手に部屋に入ろうとしたものの、玄関と云うものが存在しない。そうか! 閉じこもりっぱなしだから、出入り口が不要なのか、と気付いた。私は色々気になる所がありつつ、その建物をあとにした。
 さて、次にどこに行こうか? ――他には何もないな。何もないと思うが、外をぶらぶら歩いてみようか。

 筆者は(以下、「私」)またプラスチック風の路面を歩き出した。光源はいつでも晴れて斜め上から照らす。なぜかは分からないが、建物などの陰影はハイ・コントラスト状態だった。明るい部分と暗い部分の差が、きつく激しくめりはりだ。
 店もないのだろうかと見回し始めたとき、横から巡回ロボットが来た。私は「はい」と手を軽く上げ、軽いあいさつのつもりだった。が、ロボットは無視して通り過ぎた。あいさつの習慣は忘れ去られてしまったのかもしれない。
 とくに描出することもなく、唯ぶらりと建物の間を進むだけだった。そうだ一応、そこらにある建物にも向かってみるか、と、建物を観察した。――長方体だ。そう云いようしかない。入口はない。窓もかざりだ。それとも出入りは地下からつながってでもいるのか――
 コンビニを発見した。――が、コンビニの写真を張り付けた建物だった。オブジェかもしれない。
 丸いゴミ箱のようなものがゴロゴロと転がっていた。まもなく横から巡回ロボットが現れ、ゴミ箱を片づけていった。――あのように不要とされた異物は、どんどんなくなってしまうのだろう。
 ――ドラマチックにするため、ここから人間と巡回ロボットの闘いと云う嘘八百を書こうかとも考えた。しかし記録に嘘はいけないと思い、この悲劇的で淡々としたまま筆を置く。

2014.8.1

無の人(仮)

   //「ムイミ」という題が良いかもしれない

 久は閉じこもっていた。その頃「引きこもり」と云う言葉がマスメディアを賑やかに踊らさせていた。が、久はどうもそれとは違う様だった。久は外に出れない訳でもない。人と関われないでもない。そうではない。確固とした意志と信念により、「人となるべく関わらないこと」を己の生き方とした。なぜか。それは一言で表わせるものではない。唯確かなのは、それまでの久の生きてきた結果として、その生き方に辿りついた、と云うことだった。
 久に友人はいない。小学生低学年のときに、「友達は不要」と決断したためだった。それ以来友人と云う仲の者はいない。時折知人と二三、話をするくらいの仲だけである。久は人間に嫌悪を差していた。久には、人々が、あくまで人間と云う仕様で設計されたシステムに沿って言動を行っていること――それをまざまざと読み取れた。と同時に人と関わる不毛さへ気付かない訳にはいかなかった。人の色々な愚行や間の抜けた発言と不快の連鎖――その背後にシステムの正常動作が見えていた。そう――正常な動作だ。それは確かに仕様通りであった。まだ久は絶望しなかった。「人間は変わることができる」と云う面もあると信じていたからだ。しかし、よりシステムを理解してゆくごとに、いよいよ人の欠陥が露となってきた。人が変わること、成長出来ることは本当だ。が、一方に成長のない或は劣化する者達がいる。と、云うより、大抵の者は十代から二十代で人間的成長が終わり、目を向けられるのは能力面ばかりに偏っているようだった。
どう云うものにも例外はある。
 人間レベルを超えるまでに成長する力は、個々人にはない。久はそう直観した。優れた人であっても、人を超えた水準にはならない。アリと人のようなもの。優れたアリも科学技術をそれなりに扱う人に、まだ遠い。まずその前に久の思いの一つを先に書けばよかった。
「人間を超えること」、「現実を超越すること。」
だからこそ現代世界に対しての関心が薄いのかもしれない。人、と云うより個々の人に対しても関心が薄い。久にとって人とは感情的動物。悪い意味での感情的だった。久も人間ならば同様、発言に感情が混ざってしまう。怒りとかイライラとか、不平不満とか小言とか批判とか――。そう云うものに久は、辟易している。のみならず、そこに久自身も含むことに、なおさら人に対しての呆れを感じるのであった。

 さて、ここまで久のべらべらと語る現状人類に対しての批判を書いた訳だが――。そう云う物を書いて人々に訴えると云うもの、それ自体にも失望している。ゆえに久は、この文章を公表するつもりなく記している。それは単に、頭の中にしまったままでは死亡と同時にデータが取り出せなくなるから、その前に外部に出しておくか、と云う意思だった。が、この行為にイミがあるとは思っていない。久は創作家だったのだが、訴えを込めた作品にイミを見失った。それはもう思考にするイミも失った。理屈を失う。と云うより希薄化した。何か作品を作って人々に訴えかけても、どうもプログラムコードに対して同様のことをやっているみたいな感じで。つまり心ある人々だと思っていたのが、そうではなく、あくまでキカイだった、と云う感じだろうか。いや……心はあるんだが、それは心システムと云う結局システムで……。
 なぜムイミと感ずる。なぜ不毛と。人のリカイが、その場限りと云う類がある。人の仕組み上、まず無理解される。理解が出来ないため異物扱いされ除外しようとする。ムイミのムイミ、もっと前にムイミがあった。それはこれ――「言葉」そのもの。本質的なことを話したいとき、人間を超えようとして話すとき、直観を言語化したいとき、もうさんざん、言葉と云う器では受け止められなかった……! だから言葉の限界を強く感じ…つつも、久は言語以外の良い手段を持たない者であった。こういう点でも、まず人間を超えることが先のような気がしてくる。もうこれは言葉遊びに過ぎない。貴方はムイミを読んでいる。そして久と全然違うイミに解釈して、自分のご都合に合わせて作り変えてしまう。だから、イミは、その人自身にしかない! だから、そう云う勝手に解釈して作った物で、作品の批判・批評をしても、ムイミ。感想だけにイミがある。なぜなら、「自分はこう感じた」をわきまえているから。「ここがダメ、ここが良い」なんてダメだ。自分にとって良いと感じた、と云うことならいいでしょう。――ううんと、つまり、「自分の良し悪しはこうだ、作品を改善しなさい」という心があるとダメだ。それには、あるがままにそこから学びとるという謙虚さを失っている。――熱が入ってしまった。久は以前、芸術作品を作り発表したことがあって、そこで或批評家から自分の価値観を押し付ける批評を頂いたことがある。それ以来、批評家を嫌いになってしまったし、それは批評家だけの問題ではなく、人の性質に問題があったため。人の問題とし、ますます人嫌いを加速させた。
 その批評家が悪いのであって、人は悪くないと仰るかもしれない。――そう云うことでもない。久はそこに人間全員に通ずる普遍的性質を察知していた。人類すべてが対象だった。

 はて……なぜこう云う話になったか。人と話すことにイミはないと云うことだったか。そして必要以上に関わることへも。それに関連して、この文に対しコメントを付けることも不毛だ。そのときは唯、各々が頭の中で考え感じれば良いことであり、それを久へ云い戻してもイミはない。なぜなら、もう読者は読み違えているからだ。自分の価値観や都合、それに当てはめて考えているに過ぎない。もう別物になっている。はっきり云えば、貴方の脳内で作られてしまった、この文章を元にした記憶は、貴方の作品だ。改作品と云うのかもしれない。だから、もし批評・批判するのであれば、元の作者に対して云う形は止めて頂きたい。自分自身に対して批判してほしい。
 こうして書いて、なかなか良い考えだと自画自賛した。作品を読み解く人は、自分の脳内に、改作しているに過ぎない。だから批評は、自分に対して行うものだ。一作者として納得した。

 議論についても話そう。久は論理を好まない。同様言葉遊びに過ぎないと思っている。既に先人が語ったことだが、唯論じても、「互いに自分の論理の正しさを再確認するだけ」だ。『解決と和解は、自分の正しさを押し通さない所にある。』

 狂気について。近頃の久は狂気の中に真実の交じっているのを感じ取る。言語化の難しいウッとした直感、人は世界の限界に苦しむ。そこで現る狂いの表示。誰しも生物で本能を持っているのなら、誰しも狂いを奥に含む。狂気の一部は直観ではないか、と思う。未来と云うのは、旧時代の人から見れば狂った世界ともつかないものかもしれない。

 もはや文章は無用であろう。久は何度もそう考えつつ筆を走らせた。人と語らず物と語りたいらしい。久は生物ではなく無生物だったかもしれない。具体存在ではなく抽象存在だったかもしれない。
 久は仰向きに寝そべり、窓の通した空を見ていた。壮大な青空に、巨大なかたまり、入道雲。――詩の方がイミのあるのではないか? と考えた久。すぐに否定した。違う――イミがあったのはこの”感じ”だ。それだけなんだ。
 久はよくこうして空と、遠方にある木々を眺めていた。あれから筆も執らなくなった。コトバがムイミだと云っていた通り、今では書かず、喋らず、日々を過ごしている。
「私は、唯一つの人間だ。自然の一部、システムの断片。唯それだけだ。」
 以前と違い、穏やかな顔も増えた。「自然との一体感」久は云った。

2014.8.2

否自由意思と乱数感情又は心と人格改造

  //SF小説構想アイデア

 二〇XX年。自由意思が否定された世界で、ハカセは人格改造技術を作り出した。
 この頃の人類では、人の意思と云うのは、プロセス{プログラム}と乱数から出来ていると云う考えが主流になった。
 人の意思や心と云うのは、乱数付き自己組織化プログラムを辿っているに過ぎない、と云うことだった。
 そしてその後、人の行動プロセスの解明により、個人の行動が大体予測できるようにまでなってしまった。だから、自由意思などはないと云うことを、まざまざ見せ付けられることとなった。――
  //<ここへ様子描写シーン>
――そういう世界の片隅の刃沼とデガラシとハカセ。
 ハカセから道具を借りて、いじめを犯していたA氏へ使う。――どう改造するか? 「心穏やかにする」「心の痛みを感じやすくする」「満ちたりた心にさせる」各パターンを描く。
「心穏やか」→ Aは、さらに他の誰かから暴力・虐待を受けていた。改造後のAは文句も反抗もしなくなったために唯殺された。
「心の痛みに敏感」→ つまり人の痛みを知ると云うこと。感受性が高いと云うこと。そのひきかえにメンタルは弱くなった。心へダメージを受けやすくなり、まもなく自ら命を絶った。
「満ち足りる」→ 不十分な状態(欲求不満?)ではなくなった。いじめはしなくなり、本人の状態も良い。今の所、成功らしい。
   *
刃沼「と、いうことで、他の人にも次々人格改造したいんだけど、どうかな?」
デガラシ「ダメですって」
「なんで?」
「それは……、当人の同意なしに勝手にやっては……」
「同意を取ればいいんだね」
「いえ、それだけでなく……。人が手を加え過ぎると(自然のバランスを)調和を崩しそうな気がします」
「調和……?」
「良い人も悪い人も、様々な人が交ざり合って調和を生み出していると思います」
「でもさ、もう調和、崩れてるよ」
「それは……はい。そうかもしれません」
「デガラシが云うのは昔の話さ。今は自然に改善されないよ。人為的にやらなくちゃ」
ハカセが云う。
「それじゃアまず、刑務所で使うのはどうだろうか?」
「いいね――」
「――   //文章はここで途切れている。

2014.8.6

無名画家

 或画家がいて、知り人がその粗末なアトリエに来ていた。まだ若いその画家はくたびれた表情をしていた。知り人は絵を手に取る。
「これが、君の描いたものか。……凄いな。」
 画家は相手の言葉には関心がなさそうに、また絵を描くためにキャンバスへ向いていた。
「売り出してみて下さい。きっと売れますよ!」
と、知り人が云った。
「売る気はないよ。欲しければ全部タダでやるよ。」
「そんな……」、知り人はおどろいた様子でしばし考え込み、「じゃあ一つだけ、頂きます。どれでも持っていってよいのでしょうか?」
「どれでも。お好きに。」
 知り人は数ある絵の中から吟味し、一つを選んで大事にかかえた。そして礼をする。
「ありがとうございます。本当によろしいんですか?」
 画家は肯いた。知り人がさらに云う。
「しかし、このような良い作品を、世間に知られないままというのはもったいないです。」
「別にいいよ。」
「でも有名になったらもっと多くの人に――」
「無名の画家でいたい。」
「ファンの人だって増えるでしょうに」
「そうしたら、あれ描いて、このように描いて、と要求されるようになる。私は私なりのものを、自分が描きたいものを描きたい。
 それに多くの人に見てもらうと、良い評価だけでなく悪い評価もされる。悪い評価とは作品の短所を指摘するものではなく、その人の好き嫌いで批判しているもの。――そういう人間の高慢さで接しられるのが、もううんざりなんだ」
「で、でも、そうではない感想なら、描く励みにもなりますでしょう?」
「かもしれない……。だけど、作品に対しての心無い言葉、表面的な云い、的外れな評価に影響されて雑念が生まれる。純粋に作品を作れなくなるんだ。」
「もったいないなア……。素晴らしい絵なのに……。頂いた絵は大事に飾っておきますね」
「――みんな、貴方のように、独善的批判せず、純粋な心で芸術に触れられたら良いのに。」
 そう云って、その画家は絵筆を流した。
「おお……」
 弾けるような筆遣いで、さらりとしたシンプルな抽象絵画ができた。それを差し出す。
「あげる。君を描いた。――見ても分からないだろうけど」
「いいえ! 何となく親しみを感じる絵ですよ、これ。頂いても?」
「あげる。――というか全部持っていってもいいんだけど……?」
「それは何か、恐れ多いので遠慮します。」

「絵で生計を立てようとは考えないのですか?」
「その気はないよ。それをやれば、売れるものを描かざる得ない。描くペースも、マイペースとはいかないだろう。私は売れるものを描く人でなく、求められるものを描く人でもなく、求めるもの……自分の求めるものを描きたい人だ。自身の内から発する、そこにあるものを残したいだけだ。」
「あくまで製品ではなく芸術を作りたいと」
「その云い方で合っているか分からないけど」
「人との関わりの中での相互作用で作る、という訳ではないんですね」
「そう。あまりそういうものではない。個々というものを超越した何かだ。」

了 <仮>

2014年8月7日 木曜日

  補足
・着想は確か「キノの旅」(ライトノベル)の一場面より(2巻目に関連した気がする)。

BACK