「生死空間 〜生きる前の世界で〜」

プロローグ

 この世には想像も出来ないような不思議なことがあるんだ。
 少年たちの魂は、ある生死空間へ運ばれた。新しい生命となるために……



【目次】

第一章 「見知らぬ場所」
第二章 「マウント・ヘルスの場合」
第三章 「ボナパルト・ラーグンの場合」
第四章 「ホイッスル・シークの場合」
第五章 「メフィスト・リバティの過去」
最終章 「そして、ホープは……」

あとがき

第一章「見知らぬ場所」

「ここは……」
 薄暗い廊下の中、少年が一人立っていた。
???「……ホープ」
 誰かが呼んだ。振り向くと、男がいた。男は真っ黒なマントを着ていた。
???「失礼。自己紹介をさせて頂きますと、私はメフィスト・リバティという者です」
メフィスト「記憶のほうは、どうですか。何か覚えていらっしゃいますか?」
ホープ「何も、覚えてない。……ホープって僕の名前?」
メフィスト「ほう、名前だけは覚えておいでで?」
ホープ「おじさんがさっき、そう呼んだよ」
メフィスト「おじさんはやめて下さいな。メフィスト、もしくは昔のように、君とでも呼んでくだされば幸いで」
ホープ「……昔のように?」
メフィスト「ん……、違いましたか。いや……、前にあなたとそっくりな人間と交友していたときがありましたもので」
ホープ「僕の名前は?」
メフィスト「ああ、はい。あなたの名前はホープ、ノロ・ホープです。……ではホープさん。ついて来て下さい」
 メフィストは歩き出した。ホープもそれに続く。

 階段を上った。広間に出た。
 体育館ほどの広さがあるこの広間の中央には、三人の少年が椅子へ座っていた。
 ホープは隅っこにあった椅子へ腰かけた。広間の床には一ヵ所高くなっている所があり、メフィストはそこに立った。
メフィスト「皆さん。お待たせしました」
ホイッスル「……」
ヘルス「遅いよ! 三十分も待ってたんだよっ」
メフィスト「まことに失礼しました」
ラーグン「これで、全員そろったというわけだな」
メフィスト「はい。ではこれから今後のことについて説明しますので、よくお聞き下さい」

メフィスト「ここは生死空間と言って、人間が生まれる前に必ず通る場所です。もっとも、生死空間はここだけじゃありませんがね。……さて、あなたたちは生まれるわけですが、絶対、どうしても、生まれなければならない、というわけでもないんですな」
ホープ「……?」
メフィスト「この先に二つの扉があります。それぞれ“生”と“無”の世界へつながっています。扉は色分けしてあって、一つは白で、もう一つは黒の扉です。さて、あなたたちがそのまま白い扉へ入ると、新しい命が誕生して、めでたしめでたし、というわけでね。まあ、つまり、白い扉は“生”への扉というわけですよ」
ホープ「黒い扉へ入ると?」
メフィスト「黒い扉は“無”の空間とつながっていますので、入った者は消えてなくなります。黒い扉は“無”への扉」
ヘルス「死ぬってこと?」
メフィスト「まあ、簡単に言うとそういうことです。ただ、“無”は存在自体が消えますので、痛みも恐怖も不安も寂しさもありません。瞬間的に感情が消えて、その後徐々に存在が消されてゆきます」
ヘルス「そう、私は断然“生”を選ぶわ」
メフィスト「お早いご決断ですな。時間になったらお知らせしますので、それまでお考えになって下さいよ」
 メフィストは近くにあった椅子へ腰かけた。

 ホイッスルは椅子に座ったまま考え込んでいた。ヘルスはラーグンに何かしゃべっているようだが、ラーグンは床で眠っている。
 メフィストに近づいて、ホープが聞いた。
ホープ「さっき言ってた時間ってどういうことだい?」
メフィスト「それぞれ時間が決まっているのです。つまり……、“生”へと送り出す時間が。ホープさんの場合は六時間後です。寿命ぎりぎりですな」
ホープ「寿命? なんでそんなに短いのさ?」
メフィスト「あなたは体を持っているようで持っていない。魂の状態なんですよ。いえ、あなただけではありません。ここにいる人たちみんなそうです」
ホープ「その魂とやらの寿命が、六時間ってわけかい?」
メフィスト「いえ、個人差はあるものの十二時間はあるはずです」
ホープ「ふーん。僕はまだ一時間ていどしか記憶がないけど。僕の場合は短いってわけかな」
メフィスト「いえ、多分目覚めるのに時間がかかったのでしょう。ところで時間になる前にあの扉を開けてはいけませんよ。そう、白と黒の扉のことです。昨日もそれで行方不明になった人がいますからね」
ホープ「どういうこと?」
メフィスト「つまり、異次元か何かに飛ばされてしまったんですよ。あの白い扉が“生”への道につながっているのはホンの数分だけで、あとはどこだか分からない異次元へつながっているという噂です。……まあ、“無”への空間はいつでもつながっていますがね
 時間が決まっているのもそのためでしてね。そのわけは、“生”への道は一つしかないので、他の生死空間と順々につながなきゃならないという都合があるのです。今は自分の番が来るのを、じーっくり待っていてくださいな」
ホープ「ずいぶん詳しいね」
メフィスト「二十年もこの空間にいるんです。そのぐらいの知識はつきますよ。
……ところで、ホープさんも考えておいたほうがいいんじゃないですか。六時間後のことを」
ホープ「ああ……。他の人の時間は?」
メフィスト「ええと……」
 メフィストはマントの中から手帳を取り出す。ページをパラパラめくり、あるページをホープに見せた。
   二時間後 : マウント・ヘルス
   三時間後 : ボナパルト・ラーグン
   四時間半後: ホイッスル・シーク
   六時間後 : ノロ・ホープ
ホープ「じゃ僕はみんながどちらを選ぶか見物しているよ。それから考えても遅くはないよ」

第一章「見知らぬ場所」 〜終〜

2006/05/04

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第二章 「マウント・ヘルスの場合」

メフィスト「マウント・ヘルスさん。お時間になりました」
ヘルス「じゃ、お先に」
ラーグン「“生”を選ぶのか?」
ヘルス「当たり前でしょ。きっと後悔しない人生を送ってみせるわ」
メフィスト「……時間です。最後に聞きます。あなたは“生”で、よろしいのですね?」
ヘルス「もちろんだわ。さあ、早くしなさいよ」
メフィスト「……準備はもう出来ています。さあ、白い扉をお開けなさい」
 ヘルスは白い扉を開けた。扉の中には光があふれていた。ヘルスは光の中に入っていった。しばらくして赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
メフィスト「無事、生まれたらしいですな。さて、これからどういう人生を歩むことになるのか、よく見てください。あなたたちの考えも変わるでしょうから」
 壁に映像が映し出された。

 ヘルスは長女として生まれる。
 父は証券会社の平社員。母は夜に事務関係の仕事をしている。
 ヘルスはたいした病気もなく育ち、五歳の誕生日を迎えた。
 誕生日の夜、父はバースディケーキを買ってお祝いをした。父母ともに嬉しそうな顔をしている。

 翌日。父が自殺した。
 会社の屋上から飛び降りたらしい。
 実際に父の姿を見るまで、ヘルスも母も冗談だと思っていた。もしくは大げさな噂だと思っていた。病院へ行くと、ベッドの上に父に似た男が横になっていた。しかし、見れば見るほど父に似ている。
 ……しかし現実は、父、その人だった。
ヘルス「なんで……」
 表情のない人形のように、ただ、ただ、父の顔を見ていた。目に涙がにじむ。
 ヘルスは昨日の父の顔を思い出した。別に悩みを抱えているようには見えなかった。いつもの笑顔の父だった。
 母はそれから寝込んだ。一日中、布団に入ったままぼんやり天井を見つめていた。ご飯もろくに口にしない母の体は日に日に衰弱していく。ヘルスがご飯を口に入れようとしても食わない。母は夜になると激しく泣いた。気が狂っていると思えるほど激しく泣いていた。あとから考えると、このとき本当に母は狂っていたのかもしれない。
 ヘルス自身も元気をなくしていった。ご飯は食べていたのだが、徐々に食べなくなった。

 ある日母が、今日は一日中そばにいてほしいと言った。ヘルスはそうすることにした。登校日だったが母がとても寂しそうに頼むのでそうした。
 食事をあまり食べなかったからかもしれない。ヘルスは一日中疲れ気味で、眠気もする。
 母に、疲れているだろうから眠りなさいと言われた。ヘルスはぼんやりとした感覚の中、徐々に眠りについた。

 目が覚めたとき森の香りがしていた。どこかの山道だ。ヘルスは山道にいる。
ヘルス(……おかァさん?)
 ヘルスは母に抱かれていた。母は黙々と歩いている。
ヘルス「どうしたの?」
 母は答えない。湿った草を踏む音だけが聞こえる。
 母はヘルスを降ろして手をつなぎ、また歩き出した。

 せせらぎの音がする。近くに川が流れている。どんどんその音が大きくなり、ついには洪水のような音に変わっていた。
 母は激流に進んでいる。ヘルスは悪い予感がした。
ヘルス「おかァさん。そっちは川だよ。あぶないよ!」
ヘルスの母「……」
ヘルス「おかァさん。ながされたら助からないよっ。滝があるんだよっ! 聞こえないのっ! 死んじゃうよっ!」
 母はとうとう気が狂った。ヘルスはそう思った。
ヘルスの母「ヘルス。……生きてるほうが、もっと危ないのよ……。お父さんが自殺したでしょ……。あのお父さんが……。私が知っているなかで一番心の強い人が……。あの人がそこまで思い詰めるような事があるなんて、全然知らなかったのよ……。なんで気付いてあげられなかったんだろう……」
 母はヘルスを見た。ヘルスの顔がこわばっている。母はまた激流のほうに視線を移した。
ヘルスの母「毎日考えて、ある時分かったのよ。この世の中は私たちが思っているほど甘くはないって事が……。私には耐えられそうにもない。そして、あなたもこんなところに残しておきたくない……」
 母はヘルスの顔をのぞいた。泣いていた。
ヘルスの母「……ヘルス…………」
 母はヘルスの手を握ったまま、激流に落ちた。
ヘルス「苦しい……おかァさん!」
 激しく手足を動かし、もがきながら、辺りを見た。冷たい波が何度も襲い、その度に顔が沈む。
ヘルス「!?……、おかァさん! どこ、おかァさん! おかァさーん!」
 ヘルスは力一杯叫んだ。が、母はもういなかった。
ヘルス「うッ……く……くる……しい…………たすけ……て……」
ヘルス「………………………………」
 意識を失ったヘルスの体は、滝から投げ飛ばされていた。

 岩の上に血だらけの少女が仰向けになっている。
 落ちた場所は岩の角だった。目は見開いたまま、空を見ていた。首はねじれ、もう息もしていなければ、心臓の音も聞こえない。

 映像はそこで終わった。
ホイッスル「希望に満ちて生まれたのに……これですか……」
ラーグン「惨い……」
ホープ「……」
メフィスト「…………。現実は地獄よりも地獄的なものです。ラーグンさん。一時間後はあなたの番です。よく考えて下さい」

第二章「マウント・ヘルスの場合」 〜終〜

2006/05/05

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第三章 「ボナパルト・ラーグンの場合」

メフィスト「ボナパルト・ラーグンさん。お時間です」
ラーグン「分かった」
メフィスト「“生”か“無”か、どちらをお選びで?」
ラーグン「俺は生きる。“生”だッ!」
メフィスト「先程見たマウント・ヘルスさんの一生をどうお思いになりましたか?」
ラーグン「苦しむ奴は苦しむのだ。だが、俺は違う。俺はあんなバカな死に方などせん。生き延びて見せる」
 ラーグンは力強く言った。ホープがぼんやり見ている。ラーグンがそれに気付く。
ラーグン「なんだホープ? 別れのあいさつか?」
 ホープは顔を横に振った。
ラーグン「そうか……」
 メフィストのほうを向く。
ラーグン「準備は?」
メフィスト「出来ております」
 ラーグンは、ホープとホイッスルがいるほうに顔を向ける。
ラーグン「じゃあな……。もう会うこともあるまい」
 “生”への扉を開けた。ラーグンは光の中に消えていく。

ラーグン(ここは……)
 家のベッドの上だった。だがラーグンにとっては初めて見るものばかりだった。
ラーグンの父「母さん! 母さん! 母さん! 息子が、ラーグンが、目を覚ましたぞ!」
ラーグン(……どうしたというのだ)
ラーグンの母「あら! ラーグン! 私が分かる? あなたのお母さんよ!」
ラーグン(お母さん……母。だとすれば、この男が、父か……)

 ラーグンは生まれながらにして植物人間だった。目が覚めたとき、ラーグンはすでに二十歳も歳を取っていた。
 しかし、それでも満足していた。母と父の愛情があったからだ。大事にされているという自覚があった。
 植物状態から立ち直るまで十年。知識や技術をつけるためさらに十年。そしてその後、ラーグンは電子機器関係の会社に就いた。
 ラーグン四十四歳の時、父が死んだ。後を追うように母もその数ヵ月後に死亡。
 母と父の愛情があってこそ、ここまで頑張れたラーグンにとって、これは並大抵の苦しみではなかった。だが、ラーグンはそれを乗り越えた。……乗り越えたように見えた。
 自宅に一人、暗い部屋の中で泣いているラーグンの姿が、そこにあった。

 朝、出勤。昼から夜にかけての仕事。夜中、帰宅。少しの睡眠。朝、出勤……。
 毎日の生活に嫌気がさしてきた。家に帰るといつも、例えようのない悲しみと徒労感を感じていた。気付けば、髪に白いものが混じっていた。
 午後、いつものように上司に愛想笑い。頭も下げる。そしていつものように上司の愚痴を聞かされる。毎日、毎日、毎日……。毎日がこうやって過ぎていった。
ラーグン(もう、うんざりだ……)
 ある日、辞職願を持ち会社へ。
 午前、なかなか出せずにいる。
 午後、上司に提出。
上司「……辞職願だと……。ふざけるなッ! 今、この会社がどうなっているか分かっているのか! 一番忙しい時期なんだぞッ! 迷惑をかける気かッ! 貴様!」
 変だった。いつもの上司とは違う。怒りで完全に我を失っている。
上司「このやろうッ!」
 殴りかかって来た。ラーグンはとっさに左手でそれを防ぐ。殴りかかって来た上司の拳が、ラーグンの左手に付いている腕時計に当たった。
上司「痛い! ああ! 痛い! ……わざとやったな。貴様はそういう奴だったのかッ!」
 上司は机に置いてあった鉄の灰皿を手に取り、襲い掛かった。驚いたラーグンは上司が握っている灰皿を奪い取り、上司の後頭部を叩き付けた。倒れかかった上司は、ラーグンの足を蹴飛ばした。とっさの事で受け身も取れずラーグンは倒れる。頭が机の角に激突する。机は金属製でとても硬かった。ここでラーグンの意識はなくなった。頭が不気味に変形していた。
 後日、ラーグンの葬儀が行われた。
 それからさらに数ヵ月後。あの上司は何者かに刺され入院。現在植物状態。

ホイッスル「ラーグンさんまで、こんな死に方を……」
ホープ「……」
メフィスト「……。ずいぶん悪い人間と出合われてしまったようで……」
ホイッスル「メフィストさん。誰もが苦しむのですか?」
メフィスト「私は神でないので分かりません。いや、神だからと言って分かるとも限りませんがね。ただ……、程度の違いはあるにしろ、苦しむ事に変わりありませんな」
ホイッスル「人は苦しむために生きるんですか?」
メフィスト「そこまで思い詰めなくてもよろしいのでは」
ホープ「……」
メフィスト「……とにかく、次はホイッスルさんです。一時間半後までに、よく考えて下さい」

第三章「ボナパルト・ラーグンの場合」 〜終〜

2006/05/05

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第四章 「ホイッスル・シークの場合」

メフィスト「ホイッスル・シークさん。お時間です」
ホイッスル「……」
メフィスト「お時間です。……ホイッスルさん!」
ホイッスル「えっ……、はい!」
メフィスト「準備は出来ております。“生”か“無”、自分の選んだほうをお行きなさい」
 ホイッスルは“無”への扉の前に立った。
メフィスト「“無”……ですか?」
ホイッスル「はい、そうです」
メフィスト「理由をお聞きしてよろしいでしょうか?」
ホイッスル「理由は……。
 ヘルスさん、そしてラーグンさんまでが、あんな生き方しか出来なかったんです。僕はそれを見て絶望しました。もう、これでは、僕には生きられないだろうと、そう思ったんです。たとえ、生きたとしても、それが何になるのでしょう? やはり、苦しむために生きる、という事になるのではないでしょうか? 僕は生きる理由を見失なったんです」
メフィスト「……」
ホープ「……」
ホイッスル「もう話すことはありません。メフィストさん、そして、ホープさん。……さようなら…………」
 ホイッスルは“無”への扉を開けた。
ホープ「あっ!……」
 黒い煙がホイッスルを包み込む。すぐに煙はなくなり、扉がひとりでに閉まった。

メフィスト「“無”を選びましたか……。いや……。少々残念に思います」
ホープ「なぜ、残念に思うの?」
メフィスト「そう思うのが普通だからです」
ホープ「なんで普通なのさ? 人それぞれ自分の考えがあるはずじゃあないの? 常識やら偏見に流されるのが普通なのかい?」
メフィスト「……そう言うと思ってました。やはり、ホープさんであることに変わりはないようですな」
ホープ「どういう意味さ?」
メフィスト「さて、どういう意味でしょうかね。それはそうと、一時間半後はホープさんの番ですよ。よく考えて下さい」

第四章「ホイッスル・シークの場合」 〜終〜

2006/05/06

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第五章 「メフィスト・リバティの過去」

メフィスト「ノロ・ホープさん。お時間です」
ホープ「もうそんな時間かい? まだ三十分あると思ったけど」
メフィスト「お察しの通り、まだ三十分あります」
ホープ「予定が早まったのかい?」
メフィスト「いや、時間ですと言ったのは冗談で。ただ……、時間になる前に、ホープさんとお話したい事がありまして……」
ホープ「うん……いいよ。僕はさっきから思っていたよ。メフィストは僕と話すときだけ、少し様子が違うことを。僕は僕の過去とメフィストとの間になにかがあった、と思っているんだけど? どうなのさ?」
メフィスト「 (勘の鋭さがよみがえったか、それとも記憶がよみがえったのか)
 ……その通りです。全てをお話しします」

 あれはもう二十年も前のことになります。
 少年だった私は、天上世界からこっそり下界へ降りて、人々の中に紛れ込んでいました。暇を持て余していた私は、ある中学校へ入り何食わぬ顔で教室にいました。周りの人たちには、ちょっとした技術を使ってやると、私の存在について何の疑いも持たなくなりました。
 その教室であなたに会いました。いつも憂鬱そうにしているあなたに。気が合う私たちはすぐに友達になりました。私にとっては親友とも呼べるほどの存在でした。正直、嬉しかったですよ。それまで友達と呼べる者が、私には一人もいなかったのですから。
 しかし、あなたは何かに悩み苦しんでいるようでした。私に出来る事なら何かやってあげよう、そう思っていた矢先。

 あなたはどこかへいなくなりました。いわゆる行方不明です。家にもいないらしく、あなたのお父様とお母様が探し回っていらっしゃいました。私も一日中あなたを探しました。前に一度、二人で行った山の中へ探しに行ったとき、そこにあなたがいました。確かにいました。
 ですが……、地に足がついていなかった。……空に足が浮いていました。
 木の枝からはロープが垂れていました……。
 ここまで言えばお分かりになられたでしょう。
 ……あなたは首をくくって死んでいたんです。

 ショックでした。唯一無二の親友を失った私は、心にぽっかり穴が空いたようで、何もする気が起きず。ただただ呆然と過ごしていました。そうしている間に一年が経ちました。
 そのころ聞いたのです。死んだ者は必ず通るという生死空間の存在を。そこならあなたに会えるかもしれない。そう思ったのです。
 わらにもすがりたい気持ちで、それから私は世界各地を回る旅に出ました。もちろん生死空間を探すためです。
 約一年探してやっと見つけました。生死空間は実在しました。私はそこで待ち続けることにしました。
 他の生死空間と連絡を取り合い、ノロ・ホープという少年が来たら知らせてくれるよう頼みました。しかし、そのとき私にはまだ心配な点がありました。あなたが亡くなってから、このときもう二年の歳月が流れていました。あなたはもう、この空間を通り過ぎたのではないか、という不安を感じずにはおられなかったのです。
 生死空間についての書物を手に入れて、それを読んでいるときでした。そこに書かれている一文に、私は目を奪われました。「死んだ者は必ず生死空間を通る。だが、すぐに通るわけではない」という記述があったのです。
 希望が沸きました。この記述が本当なら二年前に亡くなったあなたも、まだここを通っていないかもしれない。そして、それを信じ続けたからこそ、今日まで待ち続けられたわけです。

メフィスト「長かった。生死空間にたどり着いてから二十年近く待ち続けて、ようやくあなたに会えました。しかし、今振り返ると、二十年がそんなに長くもないとも思えるから不思議ですよ」
ホープ「今の話は、全部本当なのかい?」
メフィスト「本当です。すべてはあなたに会いたい一心だったのです」
ホープ「それじゃなんで、二十年も経っているのに、僕は子供のままなの?」
メフィスト「分かりません」
ホープ「本当に、二十年も待ってくれたのかい?」
メフィスト「何度も言うようですが本当です」
ホープ「そう……」

第五章「メフィスト・リバティの過去」 〜終〜

2006/05/06

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最終章 「そして、ホープは……」

メフィスト「ノロ・ホープさん。そろそろお別れのときです」
ホープ「時間?」
メフィスト「はい……」
ホープ「準備は?」
メフィスト「出来ております」
ホープ「そう」
 ホープは“無”の扉の前に立った。
メフィスト「まさか、ホープさん。“無”に帰るつもりですか」
ホープ「さっきまではそう思ってた。でも、僕にも友達がいるかもしれないってことを知って、迷っている……」

メフィスト「ホープさん! あなたには生きて欲しい……」
ホープ「?……」
メフィスト「私にとっては、ホープさんは唯一無二の親友。あなたが“生”を選べば私はまた友達となってお会いすることもできます。お助けすることもできます。……ですが、あなたが“無”に帰ってしまうと……二度と、会えません。私は二十年待ちました。それはこの言葉を言うために二十年待ったのかもしれません。あなたに会いたかった。それだけでなく、あなたに“生”を選ばせたかったのかもしれません。……ホープさん。生きて下さい!」
ホープ「……」
メフィスト「ヘルスさん、ラーグンさんの人生は、その人それぞれの人生です。ホイッスルさんは“無”に帰りました。それも確かに一つの選択です」
ホープ「僕には生きる意味がわからない」
メフィスト「意味は人それぞれにあります。それに、意味ではなく意思によって決めるものではないのですか」
ホープ「意思? 僕の意思は……」

メフィスト「時間はあと、五分ほど残っています。あなたが“生”を選ぶか“無”を選ぶかはあなたの自由です。ですが、私の最後の話を聞いてからにして下さい。
 私は下界へ行き、あなたを探し出して見せます。そして、あなたが苦しいとき、死にたくなるほどのことがあったとき、私に相談して下さい。いや、たとえ相談しなくても、私はあなたを助けます。どうですか。
 やってみなければ分かりませんよ。なあに、駄目だったら駄目で構わんじゃないですか。気楽に行きましょうよ」
 ホープは視線を移した。視線の先には“生”への扉がある。
ホープ「……メフィスト、君とはまた会える?」
メフィスト「もちろん。絶対会いに行きますよ」

メフィスト「……そろそろ時間のようです。……ホープさん。もう行ったほうがいいです……」
ホープ「わかった……」
 ホープは“生”への扉を開いた。真っ白い光がホープを包み込む。
ホープ「……メフィスト…………さようなら…………」
メフィスト「……」
 もうそこにホープはいなかった。赤ん坊の泣き声が響く。

最終章「そして、ホープは……」 〜終〜

2006/05/06

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生死空間のあとがき

■2009年8月6日に記す
 過去の記憶なので、このあとがきに書くこと、あいまいです。
 途中で、いわゆる「キャラクターが一人歩きする」というような状態へ。
 もともと、ホープは最後に生きる気など、なかった、つもりだった。だから、死を、無を、最後には選ぶだろうなと、思っていた。
 が、完成した形では、ホープは作者の手を半分離れた感じになり(一人歩き状態)、生きることを選んだ……
 妙なのは、作者とホープが、その点で、違和感があること。ことに、「生死空間」以後の物語を見れば分かるように、この後(あるいはこの当時でも)作者は、希望を見出せず、破滅的な結末しかリアリティを感じない。(そもそも、この物語とほぼ同時に作られた「ある少年のはなし」とかは、あからさまバッドエンド)
 さて、現在(2009/8)では、筆者は虚無状態へと深く落ち、ものを書くこと、作ること、表現すること、あるいは「ことば」へも、意味・価値がなかったような気持ちになっています。



■2009年12月21日 旧名称『生前空間』
この物語はもともと、「生前空間」というタイトルでした。なぜ「生前」かというと、「生きる前」の世界だからです。「生きる前」、略して「生前」。
「そういえば、”生前”という言葉、あったなア」と、あとで調べてみますと、「生きていた時」という意味で、「生きる前」と食い違う。
なぜ、「生きていた時」で「生前」……? ……「前、生きていた時」という意味で「生前」……とでも考えたの、か。
「生きる前」という意味で付けていた以上、辞書の「生前」の意味も考えると、違和感がある。と、いう訳で、今の名称へ。

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2006/05/06
ワイヤー・パンサー 作