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第1章 「旅立つ前」

   近未来、20XX年。地球に似た場所で。


第1節 「異常」


◆獄牢町 早朝
 ここは「獄牢町」《ごくろうちょう》と云う名の町。灰色の朝日の下、行き交う人々。刃沼《はぬま》は学校へ向っていた。その登校風景の中で見かけた光景だった。
刃沼(?)
 奇声を発する者がいた。何かウガウガと叫びながら、アスファルトを何度も叩いている。拳が血で染まる。が、その行為を止めようとしない。周りは、じろじろ見て、ひそひそ声を出す。刃沼は耳を澄まし、その一部を聞く。――「あれは何を」――「さあ」――「頭がどうかして」――「精神病?」――「今どき珍しくもない」――「つまらん」 周囲の様子は、冷えた心持ちを感じさせた。
刃沼(…………)


第2節 「既定」


◆学校 朝
 刃沼は朝の出来事を、友人のデガラシに話した。
デガラシ「そういえば最近は、そういう人が増えているような……感じです」
刃沼「そうなの?」
「新聞やニュースで報じられるのを見ると、そう思います」
「ふーん……」
「気をつけてくださいよ。この辺りでも、治安が悪くなってきています。いつ、犯罪に巻き込まれるか分かりませんよ」

――ここで二人の外見的特徴に触れる。一応。
 刃沼 ◆ 黒髪を目深《まぶか》に伸ばし、そのセミロングな髪の向こうに、どす黒く赤い瞳が見えるのが、刃沼。背はデガラシより低い。
 デガラシ ◆ いつも青いジャージ姿なのが、デガラシ。学生服よりジャージの方が良いと云う。他に特徴としては、色白な皮膚、淡い紫がかった頭髪、コバルトブルーの瞳。
 これくらいあれば、誰が誰だが識別する手がかりにはなったと思う。

◆学校
教師「今度の修学旅行は、流離島《さすらいじま》という孤島に行くことにした」
 修学旅行について、話をしている。しかし、一方的なものだった。
「旅行先は学生が決めるんじゃないんですか?」
「ハワイ行きたい!!」
「ゴルゴタの丘!!」
 生徒たちは不満を、騒がしく鳴らした。
「もう決まったんだ」
 その教師の声は、生徒たちの騒がしさに かき消えた。教師はさして動じず、いつも通り拡声器を取り出す。そして必要要件のみ淡々と語る。
教師(拡声器)「旅行先は流離島。当日の予定や準備などは、これから配布するプリントを確認しなさい。旅行については、これで以上」
 相変わらず、生徒たちは賑やかに喧騒している。教師はいつのまにか授業を始めていた。またも拡声器の大音量がガンガン響く。拡声器と生徒の喧騒で、その日もまた、うるさい一日だった。
刃沼(うるさくて、気持ち悪い。頭がガンガンする……)

◆学校 放課後
刃沼「学校に行くの、やめようかな。うるさくて頭痛がして、気持ち悪くなってくる」
デガラシ「ええっ! じゃあ修学旅行も行かないんですか!?」
「別に行きたくはないよ」
「一生に一度の経験ですし、行きましょうよ! あとで後悔しますよ」
「ふぅん……」


第3節 「予兆」


◆家 夕方
 刃沼はインターネット上のWebページを、さまようように閲覧していた。そういえば旅行先は”流離島《さすらいじま》”だっけ、と思い出し、検索する。
刃沼(……?)
 その結果には、やや不穏な様子がうかがえた。行方不明者が続出とか、人体実験の施設があるとか、あったとか。

◆家 夜
 刃沼は一人、夕食を食べる。テレビは、寂しさを紛らわすためにつけている。テレビから流れる情報へ、注意を向けるわけでもない。ただ背景音として、ぼんやりとした頭に素通りするだけだ。批評家風の人と、アナウンサー風の人が話している。
――「昨今の人々の性質について、一部からは、『狂人化現象』と呼ばれておりますが」――「狂人とはまた物騒な物言いですねぇ」――「さて、そうでしょうか? 重大なのは、じわじわ危機的状況になっているのに、それをさっぱり自覚できていない、その大衆の盲点こそ、危険だと存じます」――「あえて過激な名前がついたというわけですか」――「そのほうが良いでしょう。……果たして本当に、危機意識を持っている人が、どれほどいるか、甚だ疑問ではありますが――」
 画面が突然暗くなった。自分がテレビを見ていないことに気づき、刃沼はテレビの電源を切っていた。静まりかえった部屋の中。無意識に聞いていた単語が、刃沼の頭に反響する。
(きょうじんかげんしょう……、狂人化現象……、狂人化……、狂人……。果たして朝見た光景も、あの人は、狂人だったのだろうか。それとも――)
 ”それとも”と考えたのち、しばらく言葉を探す。そして思考を続ける。
(それとも、ただのバカか、駄々っ子か、気違い、阿呆、お祭り気分?、魔が差した? 誤作動、イレギュラー、エラー。誰だって、頭のおかしくなるときもあるね。コンピュータだって、頻繁にフリーズやエラーを起こす。人の脳もエラーを起こす……) まどろむ頭で、そのようなことを考えるうち、眠りに落ちた。


第4節 「流される人々」


◆図書室
 教室へ行く通り。生徒達は、刃沼とすれ違うとき、顔を背ける。避けるように逃げ出す。いつものことだ。体育の授業中、刃沼は一人図書室にいた。そこへ白い和服姿の知り合いと会う。相変わらず白くて長いボサボサ髪だ。
ヘレネー「よォ。サボってる、ってな様子だな」
刃沼「うん」
「あまり、学校になじめねぇのか?」
「うん――。グループで行動するのが嫌だ、苦手。単独行動が合ってる、自分には」
「単独かァ。確かにあんたはそうだよ」
「ヘレネーは? ……サボり? いつものように」
「あァ〜あ。オレは年中フルタイムの……サボりだ」
「……学校に、何しにきてるの?」
「見たり、聞いたり、喋ったり。オレの好きなようにさせてもらっている」
「……」
「ところで、オレは学校生徒を見て思うんだけどな、学校と家を往復してばっかの毎日で、いったい何が学べるっていうんだ? パズルばっかり頭に詰め込んだってよ」
「学校で学べるものを、聞いているの?」
「勉学――とか、ありきたりな答えはいらねえよ。あんたなりの答えがあるなら、聞きてえもんだな」
「……、『人間の悪い心を身をもって知る』。それが、今まで学校で学んだものの中で唯一、意味があったと思えるもの」
「そっか。だが、そんな経験、あんたにゃ、もう十分だろ。もう人の悪い面を見せられるのはよ」
「だからサボってるんだ。それに最近は、学校へ通うのをやめようかなと思ってる」
「やめるったって、ああ、登校拒否ってわけか。今だと不登校児とでも云うのかな。いいんじゃねえか、イヤなら。――我慢できねぇことがあったら云ってくれよ? 助けになるからな」
「ありがとう。優しいね」
「あぁ、そうさ、オレは優しい人間さ。でもおかしいことによ、刃沼しかそう云ってくれねえんだ。オレぐらい優しくて繊細な人間もいねえもんだぜ」
「……そう」
  *
 そして――チャイムが鳴る。
「終わったぜ? 授業」
 ざわざわとした人ごみ気配、現る。
デガラシ「ここにいましたか! 刃沼、――と、ヘレネーさん……」
 デガラシは刃沼を見つけてホッとした表情をしたのち、ヘレネーを見つけて驚き混じりの警戒を示した。
刃沼「ヘレネーとも知り合い?」
デガラシ「いいえ……。実際に会ったのは初めてです。噂《うわさ》では何度も耳にしましたけれども」
「噂《うわさ》って?」
 デガラシは、ヘレネーの方を見て、それからややうつむく。云いずらそうにしているようだ。
ヘレネー「色々とオレの名が有名になっているらしい」
刃沼「何をやらかしたの」
ヘレネー「殴ったり、蹴飛ばしたり。ケンカを少しやっただけよ。なあにちょっとドタバタしたぐらいのもんだ」
デガラシ「ちょっとって……。話では4階から突き落としたと、聞きましたが……」
刃沼「殺害目的で?」
ヘレネー「違う、1階だ。1階の窓から外に放ったんだよ。――人の噂《うわさ》ってぇのは大げさになってくる。鵜呑《うの》みにしちゃアいけねぇな」
デガラシ「みんな、貴方のことを不良扱いにしています」
ヘレネー「ガキはレッテル貼りが好きなんだよなー。少し人と違うからって、何かしら大げさな扱いをしてくる。少し、違うだけでな」
 ヘレネーはちらりと刃沼を顔をうかがう。刃沼は、近くの窓から空を眺めてぼーっとしていた。デガラシは図書室の壁掛け時計を見た。
デガラシ「次の授業、教室で自習です。刃沼、どうします?」
ヘレネー「オレのクラスの次の授業は? 何かナ?」
デガラシ「知りませんよ。クラスも学年も違うんですから」
ヘレネー「14年A組だ」
デガラシ「だから分かりませんって」
ヘレネー「そうか。じゃあ、もう1つ聞きたいこと。そっちにヘルって子がいるだろ? どういう調子かな、って」
デガラシ「ヘル……さんですか? えっと……」
ヘレネー「分からねえか。えっとだな、黒い髪の奴で――、ああ、ちょうどオレと同じ髪型の、色違いだ。顔も違うけどな」
デガラシ「もしかしてあの人でしょうか? …いやもう一人似た方が……。 瞳が灰色の方ですか?」
ヘレネー「灰色……だったっけ? あー多分、うん、そうだ。そいつ」
「もしかして今度はその方をいじめてるんですか!?」
「いーや、オレの妹なんだ。何を誤解してる」
「ええっ! ……全然似てませんね」
「似てねえって、よく云われるよ。で、元気か、ヘルは。いじめられてないか?」
刃沼「そんなに気になるなら、自分で確かめてみればいいのに」
デガラシ「まぁ多分、何事もなく、普通なようです。あまりその人のこと知らないので、よく分かりませんが……」
「まぁ、そうか。ありがとな。――そうだよな。関心ある対象以外は目に入らねぇもんだよなア〜」

◆教室 給食時
 みんなお喋りしながら、飯を口に入れている。刃沼はその給食風景を見ながら、思い浮かべてしまう。家畜の馬や豚が飼料を食っている姿を。
刃沼(思っても、口にしない方がいいってのは、こういうことだろうね)
 刃沼のことについて、噂《うわさ》している人がいるようだ。
生徒「ねえあのロボット、不良と会ってたよ」
 ロボットというのは、恐らく刃沼に対してのあだ名(ニックネーム)または蔑称だ。
生徒「屋上から突き落としたっていう、あの不良」
刃沼(不良ってのはヘレネーのことだろうね。それしても、屋上とはァ、また話が膨らんだなぁ)
生徒「ケンカの相談でもしてんのかな? 怖いね」
生徒「ホント何考えてんのか分かんない」
「そうそう、あの不良もそうだけど、ロボットも、何考えているのか分かんないのが、怖いよね」
「うん、分かる〜」
刃沼(当たり前だ。人の考えていることが分かったら、超能力者だ)
生徒「何やらかすか分かんないヤバい感じするもんね。私らも、いじめられるかもしんないよ?」
生徒「ねぇ、いじめられる前に、いじめ返そうか?」
刃沼(しかしまぁ……、人類の大半を占める、流される者たちは、理解できる思考も置いてきぼりにしてしまう。それもまた、現状の人間の欠陥だ。それをどう直せば――)
 デガラシが横切り、噂《うわさ》をする生徒たちに向かって、ずかずか歩く。
デガラシ「刃沼の悪口云うならば、こそこそ云ってないで、はっきり云ってください!」
 そう一喝した。その生徒たちはいったん口を閉ざす。回りの生徒も沈黙して固まった。刃沼は水筒から麦茶を注いでいた。静かな教室の中、水筒に入れた氷がカランカランと音を立てる。
生徒「ねぇアンタ、なんでアイツの仲間なの? そうだ、わたしたちのグループに入らない? アイツを抜きにしてさ。アンタ人気あるからさぁ。みんなまとめんのにいいんだよねぇ」
デガラシ「貴方たちの仲間になれと云うんですか? お断りです」 デガラシは元の席に戻った。
生徒「無理だって、引き入れようとしたって、アイツは」
「今どき珍しいよな。あんなにまで、真面目さ一本調子なのも」
「そう? 誰だって、悪い所の1つや2つあるよ。あの人、外面は良くしてるけどさ、裏ではどんなこと考えてるのか。人に知られずに貶める策略とかしてる」

◆昼休み 図書室で
デガラシ「刃沼は悔しく、ありませんか……?」
刃沼「そもそも……、悔しさという感情が分からない。私の感情はまだ未分化のようだ。スポーツの試合で負けて、悔しくて怒ったり泣いたりする人がいるけど、私にはどういう仕組みになっているか理解できない。死傷者が出たわけでもないのに」
「……」
「単に、嫌な感じ、という不快感なら、今は感じる」
「何も云い返さないんですか」
「云い返しても無意味だと直感してる。相手が一線をこえたときに、報復するよ」
「あの方たちは、口で攻めるばかりで……。そういうことがこれからも続くと思います」
「ふーん。それなりに罰した方がいいのかな」
「罰するって、レッドパスさんの影響でも受けたのですか?」
「……誰かな?」
「新聞とか、あまり読んでいないんでしたね」
「新聞はとってない。ラジオやテレビ、インターネットがある。でも、たいてい、ラジオとテレビは背景音になっちゃう。音が鳴ってるだけで、頭には入ってこない」
「そうですか。けっこうだいぶ前からですが、警察組織が機能しにくくなっていることは知ってますか?」
「良く分からないけど、そうらしいね」
「そのあたりから、そのレッドパスという方が現れ、人を裁き、罰しているようです」
「なるほど。私刑というやつか。そりゃア、何かが機能しなくなれば、代わりの何かが生まれるもんだ」
「しかし、それは独断で善悪を決めつけてるんです。しかも、次々殺しているので、殺人鬼ですよ」
「捕まえればいいのにね」
「その捕まえる警察組織が弱体化してしまっているんです! それにレッドパスさんを支持したり賛同する方も多いようです。――見ていてスカッとする、とか云っている人いました。人殺しでスカッとするなんて……!!」
 デガラシは、やや怒っている。
「自然なことだよ。恨みの対象がなくなれば、喜ぶもんさ。それに、昔から殺人はなくならない。争いも、戦争も、いじめも、差別も。……まぁ、減りはするかな」
「……話が逸れました。刃沼もいじめられているのでは、ありませんか?」
「どこからがいじめで、どこまでがいじめなのか、さっぱり。とりあえず、悪いことがあったら、先生に相談してみるよ」
「そうですね。先生や、家族の方でも、友人でも、誰かに相談することは大事です」
「――おっと、そろそろ時間だ」
 刃沼は椅子から立ち上がり、去ろうとしたが、もう一度デガラシの方を向く。
「そうだデガラシ。人間を改善するには、どうすればいいと思う……?」
「ええっ……」
「最近ぼーっとしているとね、そればかり考えてしまうんだ」
「人間の……改善、ですか……」
「今まで人間は何万年も生きてきたのに、まだこの程度だ。私は余程のことがなきゃ、人は改善できないと思っている」


第5節 「不毛」


◆家 夜
 刃沼は、ラジオから流れるノイズ混じりの音声を、おぼろげに耳にしていた。
ラジオ「
 ――という軍関連施設で人体改造の研究の噂《うわさ》が流れた頃、同時期に狂人化現象が発生。――そこでワシは睨んだ訳です。怪しい、と。――へえ。それで。――つまりですよ。こうこうこうであるからにして、――――だからこそ、その人体改造実験の産物が、狂人化現象という取り返しのつかないものを招いたんじゃないかって、そう考えておるわけですワシは。
――へぇへぇ。おっしゃっていることは皆目――――と、いたしますと。狂人化現象が、狭い地域だけでなく、世界中で見られることについてはどう説明つけましょう?――そりゃキミ、世界中でやっとんのヨ。核実験、イヤ、こりゃ失礼、人体実験を。――へぇへぇ――そんなことも分からんのかネ、キミは。これだから頭に髪を生やした人間は、まったく」
 内容がダラダラした不毛なものだと分かったとき、ラジオの電源を切った。布団に入り、考え事……。
刃沼(『人間を改善するには、どうすれば良いのだろう』 これまで人間が考えてきたものは、たくさんあるはず。人を改善するには? と考え行動した人だって、数えきれないほどいたはず。でも、今の現状は、まだまだ愚か者と未熟者であふれている。なぜ……!?)
…………
(そうだ! そこで逆転の発想だ。今、愚か者と未熟者であふれているけど、昔はもっともっとひどかったとすれば? ようやく成長して、人間の知性はここまで来た。でもまだ成長段階だから、悪はたくさん残っている、と。だったら……、もっと「成長」をさせる。どうすれば成長を? どうすれば?? ――『進化』だ! 生物は進化して、ここまでの高機能化、知性を手に入れた。人間の次、次の生命体の出現を待つしかないかなぁ……。……でもたしか、人間を進化的に見ると、1万年前とほぼ変わっていないという。人間の身体にしても心にしても。それくらい、進化スピードは、あまりにも、途方もなく、遅い。遅すぎる! これじゃあ、発展する世の中のスピードに対し、進化で適応できなくなるに決まってる。もう今がその時代なんだ! そして生きづらさの訳も、それが大きく関わっている。この身体そして心は、狩猟採集していた頃のものだ。まだ農業すらやっちゃいない頃の名残り。適応できないのはあたりまえだ。今までは、何とかだましだまし適応している形をとっているだけで。……でも、哀しい。常識とかが邪魔して、大抵の人間はそれが見えていない。適応力を、努力や根性の大小で認識してしまっている。それともまだ正確に認識できるまでの頭が発育されていない? もっと成長し大人になれば、自然とより良い知性になるのかなア。周りの大人を見れば、それは違うと分かった……。)
 刃沼は眠りに落ちはじめ、思考はもうろうとしてさまよう。
刃沼(これまでの生物的……進化は、……用済みで、次は別の方法をとらざるえない……。テクロノジー……? そういえば人体改造の研究がなんとか、とか……そうか…………!! いっそのこと、人の手で人間を作り変えればいいのか……。なんでこんなシンプルなこと……気づかないんだろう…………、それが自分の、発想力の程度なのか……。人間の能力の不完全さ、かなぁ……1つのことに集中するとき、必ず視野は狭くならざるえなくなり……、意識して視野を広く戻す必要があることを…………――) 刃沼はぐっすりと眠った。

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