第2章 「島」
◆船 移動
修学旅行当日、学校生徒とそれを引率する先生方は、孤島へ向かう船に乗った。
デガラシ「やっぱり来たんですね!」
「デガラシが、行くっていうから、心配になって」
そして揺らり揺らり進み、変わり映えのしない景色にも飽きてきた頃、目的地に到着した。
◆流離《さすらい》島 船着き場からホテルへの道
孤島に着いた。生徒達はぞろぞろと船から降り、そして島唯一のホテルへ向かった。陸に上がったとき、人ごみの中、肩を叩かれる。「よ!」、ヘレネーがいた。生徒の行列は移動しているので、刃沼たちも進みながら会話をする。
刃沼「やぁ」
デガラシ「あれ! なぜここに? ヘレネーさんは違う学年だったはず」
ヘレネー「驚かせようと思って。あんまり驚かなくて残念」
デガラシ「びっくりさせるためだけに、わざわざ遠い所まで来たんですか」
ヘレネー「そうそう。……いや、本当はな、ヘルが心配になって、ついさっきここへ来たんだ。とーころが、ホテルで部屋は空いてない、なんて云われちゃって……。どうしよか」
デガラシ「あらら」
「こっそり部屋に泊まらせてくれない? 雨風寒さをしのげる、寝るとこさえあればいいんだ」
刃沼「そこ」
刃沼の指差す先には、「民宿ずんだら」の看板が、木の葉に隠れていた。
ヘレネー「民宿、あったのかア。空いてっかな」
ヘレネーは民宿ずんだらの方へ向かった。刃沼たちは生徒の流れとともにホテルへ入った。
◆ホテルのロビー
そのホテルの名はグルミーホテルと云う。階数は少ないが部屋数は多い。高さはないが幅がある建物だった。
教師「部屋割りは……決めていない。自由だ。各自勝手に決めること。一部屋に二人ずつ入れ。それで丸く収まる」
生徒「部屋割りは先生の方で決める、って前、云ってましたよねー?」
教師「自由だ!」
生徒「仲良し同士グループになって、そうでない人は取り残されるじゃないですか!」
教師「大丈夫だ。ここの平均気温は低くない」
生徒「はぁ?」
教師「外で寝たって、凍死しない」
生徒「はぁ……」
教師「死にたきゃ勝手に死になさい。以上」
刃沼(最近気づいたのは、どうもこの学校の先生は、いかにも教師らしい人を演じているのではなく、何か別の…、何かな気がして――)
デガラシ「刃沼、わたしと相部屋にしましょう」
さっそくデガラシは刃沼を誘う。
刃沼「来ると思った」
デガラシは微笑んだ。
刃沼(無邪気、文字通り、邪気が無いからの無邪気。そんな人だ。本当は一人がいいんだけどな。そうもいかないらしい。デガラシなら気兼ねもないし、信頼感がある、他の人より)
刃沼「いいよ」
辺りにいる生徒の中には、当惑した表情でキョロキョロ見回す者も少なくなかった。
刃沼(なるほど。好きな人とグループを作りなさい、という指示の類は、あまり良いものではないね。きっちり生徒を相手にする先生なら別だけど……、生憎《あいにく》ここの先生はそうじゃない)
ヘレネー「おいっ、ヘル、仲間見つけねえと一人になっちまうぞ」
聞き覚えのある声だ。
刃沼「もう戻ってきたのか。早いなぁ」
ヘレネー「おっ、刃沼。なあ、部屋割り、ヘルと一緒になって――」
ヘレネーは、刃沼のそばにいるデガラシを確認した。
ヘレネー「――くれねえらしいな」
刃沼「ごめんね」
ヘル「…………」
デガラシは穏やかな表情でヘルを見つめた。ヘレネーはヘルの手を引っ張って、人ごみの中をかき分けていった。
デガラシ「妹さん、大人しいですね。人見知りなのかもしれません」
刃沼「私も人見知り」
「そうだったんですか」
ヘレネー「あら〜ッ!! 平兵衛先生っ!! なんでここに!?」
向こうから聞こえてくる。
デガラシ「大きな声ですね」
刃沼「ほんと。喧騒の中でも良く聞こえるよ」
やがて人混みの隙間から見えた。ロビーに隣接したカフェでくつろぐ男とヘレネーは喋っていた。
刃沼「へいべえ先生、って?」
デガラシ「聞いた名ですね。えっと、確か、そう、ヘレネーさんのクラスの担任じゃなかったでしょうか」
◆刃沼たちの部屋
ロビーを抜けて、エスカレーターで3階に上がる。
「エレベーターがあるんですから、そちらを使いましょうよ」
「エレベーターは止まると怖い。エスカレーターは止まっても階段になるだけだもん」
廊下の一番奥まで進んで、ようやく刃沼たちの泊まる909号室を見つけた。室内に入る。デガラシは「わぁ〜」とか云いながら、色々興奮しているようだが、刃沼は、そっけなく「狭いな」と云って、座布団に座った。
刃沼「よっこいしょ」
デガラシ「年寄りみたいですよ。よっこいしょって」
「心はもう老けてる」
刃沼はお茶を2つ入れた。そしてデガラシのいる方へ、置く。
デガラシ「わざわざ入れてくれたんですね。その気配りに感謝です」
刃沼「毒見、お願い」
デガラシ「……。刃沼はいつも一言多いんです」
デガラシがお茶を飲む。しばらくして、「大丈夫みたいだ」と云って、刃沼もお茶を飲みはじめた。
デガラシ「……」
部屋のドアが開く。
ヘレネー「間違ったらごめんなさいよ。刃沼、ここか? また違うな」
ドアが閉まる。
刃沼「おおぃ――」
刃沼は、大きな声を出そうする、が、上手く出ない。デガラシを見て合図した。
デガラシ「ヘレネーさん!」
いったん閉められたドアが、また開いた。
ヘレネー「ありゃ、いたのか!?」
刃沼「いたのに、出て行くんだもん」
ヘレネー「いやぁ〜、繰り返していくうち、流れ作業になっちゃってな。確認したつもりになってたみたいだ」
デガラシ「あのー、全室確認していくつもりだったんですか?」
ヘレネー「部屋数、そんなでもないだろなと思ったんだけど、実際やってみたら多くてねぇー。参った。足疲れた。どっこいしょっと」
デガラシ(どっこいしょ……)
刃沼「民宿は、どうだった。それと妹さんの部屋は、どうだった」
ヘレネー「いっぺんに2つも聞かないで欲しいな。オレ聖徳太子じゃねえんだから。え〜と……、民宿はだな。いくらノックしても反応がなかったんだ。で、仕方なくさっきこのホテルに来たってわけ。そしたら部屋割りができてねぇときたもんだ。案の定ヘルはオロオロしっぱなしでよ。他に一人でオロオロしている奴と無理やり手ぇつなげて一緒にさせたよ。それから、ホテルを出て、再びあの民宿へ。今度はおばちゃんが出てきて、泊まりたいって云ったら、あと一人泊まれるよ、てなわけさ」
刃沼「へぇ〜」
デガラシ「そういえば、平兵衛先生も来ているんですね。何か話し込んでいたようですが」
話に興味の失った刃沼は窓際まで移動して、肘かけと背もたれ付のイスに寝そべり、外を眺め始めた。しばらくヘレネーはデガラシと話し込んだあと、部屋を出て行った。ヘレネーと平兵衛先生は「話の分かる仲」らしい。ヘレネーがよくサボっていることについても、平兵衛先生は「行きたくなきゃ、行かねえでいい」と、理解を示した、とかなんとか。そういう話をしていた。刃沼は、イスの肘掛部分に、膝と頭を乗せて、行儀悪く寝そべっていた。
◆909号室(刃沼たちの部屋)
旅の疲れか、うとうとしている刃沼の寝息が、いよいよ大きくなる。デガラシが立ち上がって云う。
「ホテルの中、散歩しに行ってきます!」
刃沼「ああ……、どうぞ。(多分初めてホテルに泊まったんだろうな。はしゃいじゃってる)」
デガラシ「刃沼はどうします? 一緒に行きませんか? ずっと部屋にいるのも退屈でしょう」
刃沼「寝る。眠い」
デガラシ「はい」
デガラシは部屋の外へ出ていく。が、すぐそこで誰かと会い、話し始めたらしい。相手の声は小さくて聞こえない。刃沼は重い目蓋《まぶた》を閉じる。デガラシの話し声が止み、部屋の出入り口から戻ってきたようだ。そして頭をコツンコツン突かれる。
刃沼「ぅぅ……眠いんだ。寝させて」
?「ぁ、あの……」
近づいたデガラシと思われる者は、別人の声を発した。刃沼は重い目蓋を開ける。像がぼやけている。誰かがしゃがみこんで、こちらを覗いている。
?「あの……。はぬま…さん……?」
像がはっきりしてきた。見覚えのある顔だ。黒い髪に灰色の瞳か――
刃沼「ヘレネーの、えっと……」
ヘル「妹の、ヘル、です」
刃沼(ヘル……、HELL……地獄か。不吉な名付けをされたもんだ)
刃沼は目蓋を閉じた。
ヘル「あの……、あの……!」
刃沼「聞いてる。……眠るまでは聞いてる」
ヘルはオドオドした様子と口調で、スローモーに話しかける。
「888号室に泊まってます……」
「うん」
「この部屋の、となりです……」
「そう」
「遊びに……来てください」
「へぇ」
「心細いんです……」
「なる……」
刃沼は睡魔に襲われた。
◆3階の吹き抜け近く
その頃デガラシは、3階の通りから、吹き抜けの空間を眺めていた。
「あれっ」
2階の通路に人が歩いていると見えた、最初は。けれどもよく目を凝らしてみると、人間ではないようだった。
「ううん?」
溶けた足を引きずり、ひどく前のめりで、頭部が脈動している。そしてこちらを見た。
「うぅっ……」
ぎょろりとした目玉が不自然に飛び出ていた。金魚の出目金をグロテスクにし、人間と混ぜたような……
(――化け物――)
そう呼ぶ他ない得体のしれないものだった。化け物はニタニタと笑う。赤い口を歪にさせ、壁の向こうへいなくなった。
(なんでしょう、今の……。鳥肌が……。メイク……でしょうか。けれども、とても、おぞましい……)
◆909号室
目覚めた。
刃沼「うーっ、うー」
身体を伸ばす。時間は夕飯前あたり。ヘルはいない。部屋のドアが開く。
デガラシ「ただいま。帰りました。あ、起きたんですね」
刃沼「こっちも、ただいま起きたんだ」
刃沼は欠伸《あくび》をした。
デガラシ「実はさっき、妙なものを見て――」
デガラシは、先ほど見たモノを刃沼に説明した。
刃沼「お化け屋敷でもやるのかな」
そう云って、お茶を飲み、また目を閉じた。二度寝だ。
◆888号室 ヘレネー
ヘレネーは、デガラシと話したあと、ヘルのいる888号室へ少し寄った。
ヘレネー「じゃあヘル、オレは民宿の方へ行ってっから。とも子ちゃんと、仲良くな」
ヘル「うん……」
とも子「はい。ヘルは私がしっかり見てますので、ヘレネーさんは安心してください」
ヘル「……」
ヘレネー「とも子ちゃんは、しっかりした子で助かるよ。んじゃあな」
ヘルはとも子という生徒と相部屋になったようだ。
◆民宿ずんだら
そしてヘレネーは、ホテルを出てすぐの民宿に入った。
ヘレネー「おばちゃん、世話になる――」
入ってすぐ、居間にいるもう一人の宿泊客が目に入り、固まる。
おばちゃん「あいよ。今ご飯炊いてっからね。そこさ座って待ってな」
ヘレネーはゆっくりと居間に入り、ちゃぶ台の前に座った。
ヘレネー「もう一人の宿泊客って、あんただったのか……」
レッドパス「…………」
赤いカウボーイハットを被った、体格のがっしりした大男が座っていた。服装は黒い作業着姿であり、旅行者には見えなかった。
ヘレネーは相手から、不動明王か仁王像の類が、生きて座っているような威圧感を感じたため、思わず一瞬固まってしまった。
それからご飯を待つ間、二人は何をするでもなくただ座る。ヘレネーは、大男レッドパスに、話題を振ってみた。
「この島にはなんで?」
「……島に来た目的を尋ねているのか?」
重量感のある声で、レッドパスはゆっくりと口を開いた。
「いや目的ってほど、大層なもんでもねーけどな。何しに来たのかなって。……旅行?」
「……」
「話す気はねぇか……。少しぐれえお話してくれたっていいんでないの?」
「相手のことを聞き出す前に、自分のことをまず話すべきだろう」
「あー、そういや自己紹介もしてなかったっけ。あんたのことは知ってるもんでつい。初対面だってのを忘れてた。オレはヘレネーだ。そこのホテルに今、修学旅行で学生が来てるだろ? そいつらと同じ学校の、1つ上の学年だ」
「ではお前は修学旅行生ではない、と云うことではないのか?」
「ああ、オレは妹の――ヘルっていう妹がいるんだ。それが心配で、一緒に……いや一緒ってわけじゃねえな。とにかくここへ来たんだ」
「妹思いだな。単なる学校の旅行だろう。何が心配なんだ」
「おそらくはー、あんたもご存じのことだがね、この島にゃ色々良くない噂《うわさ》も流れてんだろ」
「詳しく聞かせてくれ」
「行方不明者が続発したり、怪しい研究所があるんじゃないかって話。おばちゃんも知ってるだろー?」
おばちゃん「ええ? なーに?」
おばちゃんは炒め物の調理中らしい。フライパンの上で油と水分の弾ける音がけたたましい。
レッドパス「行方不明者について、俺もさっき、おばちゃんに聞いたが、話でしか知らないと云っていた」
ヘレネー「知らない?! あんなに噂《うわさ》になってるてーのに? 行方不明者もけっこうな数だろ」
レッドパス「らしいな。だが、正確な情報はどこにも見つからなかった」
ヘレネー「まさかあんた今度は、もみ消しが目的じゃねえだろうね?」
レッドパスは少し鋭い目つきをした。ヘレネーは即座に身構えた。が、何もしない。
レッドパス「今の話を聞くと、どうやらお前とは敵対関係ではないようだ」
「どーゆうことだよ」
「この孤島で行方不明者が立て続けに起きていることは、事実だと俺は考えている。そして今回、修学旅行生という団体客が、この島を訪れた。そのタイミングで行方不明者がまた必ず出るだろう。だから俺はここへ来たのだ」
「んん……? いやでも、さっき、正確な情報がないとか」
「行方不明者の続発は事実だ。だが、どこで行方不明になったか、という情報が曖昧にされている」
おばちゃん「早くも打ち解けたようね。しばらくは一緒に過ごすんだから、二人とも仲良くね」
おばちゃんは、山菜料理と、サメの肉を中心とした料理をちゃぶ台に並べた。
◆大広間
夕食の時間となり、刃沼たちは大広間へ行った。巨大な空間にテーブルがずらりと並ぶ。テーブルには、食膳が整然と置かれている。
デガラシ「もうみんな、集まっているようですね」
こういうものは、みんなが集まるまで待ち、そしてから「いただきます」の挨拶とともに食べ始めるものだと思っていた。そうではなく、来た人から順に食べていた。刃沼たちも食事をとり始める。それからしばらくして、周囲がざわつく。耳を傾ける。
*「マサオちゃん知りませんか? 誰か知りませんか?」
ここへ来ていない生徒がいる様子だった。刃沼たちは、食べ終わった食膳を、返却口へ持っていった。
*「部屋にもいないんです。様子がおかしいんです」
賑やかな食事風景の中に、心配の声が含んでいた。刃沼たちは大広間を出て、部屋へと戻る。そして風呂へ入った。
◆909号室
ホテルには大浴場があり、そこへ行って身体を温めた。残念ながら露天風呂はなかった。さらに残念だったのは、小汚い所が散見されたことだった。風呂掃除が行き届かない、あるいは、掃除しても汚い感じの取れないぐらいに、老朽化したのかもしれない。湯船には髪の毛やら垢やらが浮いたままになっていた。刃沼は湯船から出たあとにもシャワーを浴びて、身体を洗った。
大浴場を去り、部屋へと戻る道すがら。慌ただしく行き来する人を数度、目にした。部屋に戻ったあと、布団を敷いた。
刃沼「修学旅行だからかな。布団は自分で敷くみたい」
デガラシ「自分のことは自分でする、それが基本ですよね」
刃沼「やってくれるところも多いんだ。ホテルの場合は。夕食を食べて、部屋に戻ると、既に布団が敷かれていたりするもの」
デガラシ「ありがたいですね。全室すべての布団を敷くなんて、かなりの重労働だと思いますよ」
刃沼「一人で全部やるわけじゃないからね。じゃ、おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
消灯後の暗闇の中で、ドタドタという物音が、色々な方向から鳴り響いていた。そののち、まどろんできた頃、部屋のドアがノックされた。
デガラシ「はい」
デガラシが応答する。そして布団から出てドアへ向かう。相手はドアの向こうから尋ねた。
「夜分すいません。マサオ君、そちらに来ておりませんか?」
「いいえ、来ていません」
「そうですか……。すいません。ありがとうございます」
布団に戻ったデガラシに、刃沼は聞く。
「マサオ君って?」
「起きていましたか。マサオ君……、わたしも知らない人です」
「そう」
「今日は早く寝ましょう。旅の疲れがたまっているでしょう」
「おやすみ」
「ええ、おやすみなさい」
◆909号室 朝
煌《きら》めく朝日が、眠る刃沼の目蓋を貫く、赤外線から生じる暖かみ。
「朝ですよ。起きてください、刃沼」
起きない。
「もう朝食の時間は過ぎていますよ」
どうしても起きない。
「先に行ってますからね」
何度も呼びかけ、揺さぶり、軽く叩いたりもした。だが、刃沼は呻《うめ》くのみで一向に起きなかった。仕方なくデガラシは一人、大広間へ向かった。
◆大広間
食事を取る。周囲の話し声が聞こえる。
「マサオってやつ、結局見つからないんだと」
「どこに隠れているんだろうね」
「いやぁ、もしかしてこれが行方不明ってやつじゃないか。この島の噂《うわさ》、知ってる?」
「まさか島の崖っぷちから、海に落っこちゃったとか。サメのエサになるな」
「だめだよ。そんな縁起の悪いこと云っちゃあ」
「デガラシ……」
横から声をかけられる。
デガラシ「おはようございます、ヘル。今日も元気ですか?」
ヘル「元気……。でもみんなは昨日より、元気じゃないみたい……」
「マサオさんという方、どういう方か、ヘルは知っていますか?」
「マサオ君は、知ってる。みんなと仲が良い人。私にも話しかけてくれた」
「そうでしたか」
「昨日の夕方から、どこにいったか分からないんだって」
「そのようですね」
そのとき、慌ただしく大広間に入る生徒がいた。何か報告したくてたまらないという様子がうかがえる。
ヘル「マサオ君が見つかったのかな」
デガラシ「一晩どうしていたのでしょうか」
生徒「とも子が! ……とも子がぐったりして! ……うう」
ヘル「と…も…子……?」
デガラシ(たしか、とも子さんは、ヘルと同室の方では)
生徒「落ちつけ。とも子さんが、どうしたんだ?」
「崖下…… 崖…… ガケ……が」
周りの者は、深呼吸をするようにと云った。その生徒が落ち着くまで待ち、それから話を聞き出した。
生徒「さっき、ジョギングのために外に出たんです。すぐそこが崖になっていますよね。崖の下がどういう景色かなって、覗いてみたくなって。落ちないように恐る恐る覗いたら、人が仰向けで……。そんなに下まで距離もないから、そこからでも顔までしっかり見えて。とも子だ、と」
生徒たち集団が、大広間を出る。崖の所まで行く様子だ。ヘルも付いて行った。デガラシも気になり、一緒に付いて行った。
◆崖の上
生徒「確かにとも子の亡骸だ」
冷静な生徒が淡々と述べた。
「亡骸ってッ……!」
怒りを含む声が聞こえた。ヘルは生徒の一人から色々質問を受けた。
「つまり昨日、就寝するときは確かに一緒だったんだね」
「うん」
「それで、今日起きたらいなかった?」
「うん。先に大広間に行ったのかと思ったけど、いなかったの」
「就寝時間は10時頃?」
「だいたいそのくらいだと思う」
デガラシは崖の下を覗いた。人が集まり、調べている。一人が諦めた仕草で、首を振るのが見えた。
デガラシ(死んだ……)
そうなのだろう。
◆大広間
大広間に戻った。先生から声をかけられる。
先生「デガラシ。刃沼がまだ来ていないようで、心配なんだけど。大丈夫か」
デガラシ「刃沼は朝寝坊なだけです」
先生「じゃあ起こして、早く来るよう伝えて。9時にはもう朝食を片づけるから」
デガラシ「はい……。分かりました」
◆909号室
部屋に入る。刃沼は同じ寝相だった。
デガラシ(部屋から出たときと、全く変わってない……)
「起きてくださいよ、刃沼。先生がもうご飯片づけるって云ってますよ。朝食抜きになりますよ」
今度は布団ごと引っ張ったり、揺さぶったりしたが、全然効果がなかった。
「ふぅぅ……」
疲れて布団の上であぐらをかく。
デガラシ(刃沼の睡魔は異常です……。ここまでくると、何かの病気を患っているのではと疑ってしまいます)
デガラシは刃沼の寝顔と、外の風景と、時計を見ながら、時を過ごした。そして午前10時を過ぎた頃。
「んんんんー。うぅぅ〜」
声がした。またしばらく間があり、それから、のっそりと布団から這い出てきた。
「刃沼、今もう10時なんですが……」
「ああ、おはよう。まだ眠いや」
刃沼の動きがそこで止まり、また眠ろうとする。
「もうっ! 起きてください」
揺さぶる。
「おおう」
「朝食は、もう片づけられましたよ。9時までだそうですから」
「そうだね〜」
「寝坊だからですよ」
「いいんだ。私は3日に1食食べれば持つから」
「しっかり毎日食べた方がいいですよ」
*
デガラシは今朝起きたことを話した。とも子が崖下で転落死した様子を。
刃沼「へぇー。ついに死亡者がね」
「死亡かは分かりませんが、無事ではないように見えました」
「崖ね。本当に転落死?」
「場所からすると、おそらくは」
「怪しい。あの崖はそんなに高さもないし――。それに崖下の地面だけど、案外硬くないもんだよ」
「でも転落死じゃないとすると」
「じゃないとすると?」
「…………」
「殺し、かな」
「なんでそう飛躍するんですか!?」
「転落したくらいじゃ死なないなら、死んだ状態で放ったのかもね。誰かが」
「ありえません……!」
「なんで」
「なんでって……、それじゃあ……ここにいる誰かがが人殺しをしたことに……」
「人は、人を殺すもんさ」
「考えたくありません……」
「旅行地をこの島に決めた。そのときから、何か裏がありそうで、危ないなぁって思った。でもデガラシは旅行に行きたそうにしてたから。私も付き添った。それにヘレネーもいる。ヘレネーには武器を持てるだけ持ってくるよう云っといた」
「え、なんでそこでヘレネーさんが? 武器といいますと、木刀や金属バットなどでしょうか?」
「云い忘れてたかもしれない。ヘレネーの家は銃器を中心とした武器売買を生業《なりわい》としていてね。私専用に銃をカスタム(改造)してもらったりしている」
「刃沼が、銃を? どうして……」
「ん……と、護身用だ。護身用に銃を持つ人なんて珍しくはないだろ」
デガラシは嘘が混じるのを直感的に感じた。
デガラシ「本当に、それだけですか……?」
「……それだけだよ」
「そういえばヘレネーさんは、刃沼について、わたしの知らないことまで知っている素振りです」
「……」
「わたしは思うんです。刃沼の過去について。何かがあるんじゃないかと」
刃沼は少し動揺しているように見える。
「……前にも云ったけれど、昔の記憶は消えてしまったんだ」
「でも、記憶喪失ではないと云ってました。あくまで記憶が薄れすぎただけだと。薄っすらとは残っているんでしょう? でも……、刃沼が云いたくないならいいんですよ。ただ……さびしいなと思いました。わたしには支えられない感じがして」
「デガラシの献身性は知ってるよ。でも別に、私に親身にならなくても――」
「誰でもいいわけじゃありません! 刃沼を支えたいんです……!」
「随分強く云い切るね……。でも、支えてもらったところで、私は何も与えられない」
「いいえ。その考えは間違ってます。取引じゃないんです。与えられたから、返さなきゃいけないってものではありません」
「う〜ん……。よく理解できない、私には」
「いいんですよ、理解しなくても。いずれ、なんとなく分かるときがきます」
*
ヘレネー「おうおう。湿っぽい空気ン中、失礼するよ」
ズカズカ入ってくる。デガラシと刃沼の顔を見て、それから云う。
「オレは口が堅いんだ。たとえ刃沼がオレから商品を買わなくなってもな、お前のことは誰にも云わないよ」
ヘレネーは懐から、リボルバー拳銃を取り出し、刃沼に渡す。そして弾薬の詰まったケースも。刃沼はリボルバーの引き金あたりに指を入れ、巧みにクルクル回したあと、ポケットの中へ落とすようにしまい込んだ。
刃沼「ちょっとしたパフォーマンス」
デガラシ「西部劇のガンマンがやってそうですね」
ヘレネー「抜き撃ちの腕も、西部劇の主人公だぜ、刃沼は」
デガラシ「はぁ……そうですか」
ヘレネー「信じてねえなっ」
刃沼「私は西部劇の主人公じゃない……」
◆3階廊下(ホテル)
ホテルの3階通路をヘレネーは歩く。客室の一つに人が集まっている。ただならぬ雰囲気を呈していた。
*「いったい……」
*「ひでぇ……」
合間から、室内を覗いた。
ヘレネー「こりゃあ……」
見るも無残に引き裂かれ、千切れとんだ死体が室内に散らばっていた。おそらく元は3体の学生だったのだろう。ずんぐりむっくりな金髪生徒がヘレネーを睨む。
ヘレネー(こいつは確か学級会長だったか?)
タコヤマ「お前が、やったのか……?」
タコヤマ学級会長は、恐る恐る尋ねた。
ヘレネー「ああっ? なんでそうなるんだよ!」
唐突な言葉に、ヘレネーは驚きと怒りが混ざる。
タコヤマ「お前が一番、疑わしいんだ! それに調べはついてんだよお前。お前ンとこは、銃器の密売までやってるそうじゃないか? ああ?」
ヘレネー「密売じゃねえ。合法的にやってるよ」
「今も武器、持ってんだろ? 手榴弾《しゅりゅうだん》か? それでこいつらを弾けさせたんだろう?」
「オレじゃねエ。だいたいな、よく見ろタコ! その遺体をよ!」
タコヤマは遺体を見る。その額には冷や汗が流れる。
「あんまり、じっくり見たくない有様だ」
「オレが持ってる武器は、銃や刃物と爆発物くらいなもんだ。それでこうはなるか? こりゃあ、食いちぎられた跡だ」
生徒「そう云われてみると、これ、食いちぎられて死んでるんだな」
タコヤマ「いや! 何か工夫すれば、お前にだってできるはずだ」
「だっから、なんで犯人を先に決めんのよ!?」
ヘル「お姉ちゃんは、犯人じゃ、ないっ!」
ヘレネー「わっ、びっくりした」
ヘレネーの真後ろから、ヘルが叫んだ。
ヘル「お姉ちゃんを、疑わないで。疑わしい人なら、他にいます」
タコヤマ「ほう? 誰かね、そいつは?」
ヘル「……すぐそばの民宿に、レッドパスという人が泊まってます」
生徒たち「……!!?」
タコヤマ「レッドパス!? なんでそいつがこの島に……!?」
生徒たちはしばし沈黙したあと、
「すぐそばの民宿だったな、……オイ」
タコヤマが顎《あご》で指示し、タコヤマと生徒数人がその場からいなくなった。
ヘル「良かった。疑いが晴れて」
ヘレネー「ありがとな――と云いたいところだが、気をつけろよ。危ねぇんだぞレッドパスは」
ヘル「大丈夫だよ。だいじょうぶ」
ヘレネーは窓から下を眺める。ぞろぞろ連れ歩くタコヤマ集団が、ホテルから出て民宿の方へ続いた。
◆民宿ずんだら
同時刻。勢いよく開け放たれた引き戸。タコヤマ率いる生徒たちが、ぞろぞろ入ってきた。
おばちゃん「あら、どうしたんだい? そんなにたくさん泊まれないよ、ウチは」
タコヤマ「おば様、レッドパスはどこだ? いるんだろう?」
「あらら、おば様なんて……。レッドパスちゃん! お客さんだよ! たっくさんのお客さん〜!」
タコヤマ(いるんだな)
生徒(レッドパスちゃん……)
暗い奥から、こちらへ向かう人影。一歩一歩がやけに重々しい。この建物は古いのかもしれない。その一歩ごとに、タコヤマのいる所まで振動が走る。暗い所からレッドパスが現れる。天井の低いこの建物には、不釣り合いな巨体だった。
生徒「で…でかい……」
タコヤマ「…………」
タコヤマは見上げる姿勢になる。少し固まっているようだ。
レッドパス「要件は、なんだ?」
子分コ「会長、会長、何か云ってください」
タコヤマ「あ、ああ。レッドパスとは、アンタか……?」
レッドパス「そうだ」
生徒「レッドパスちゃんて――」
生徒「何関係ないこと云ってるんだ」
レッドパス「ここのおばちゃんには世話になっている。気さくなその心意気も、良い」
タコヤマ「おれはタコヤマだ。学級会長をやっている。今回ここへ来た理由は分かっていると思う。事件について聞きたい」
レッドパス「事件?」
生徒「とぼけてるわ、こいつ」
タコヤマはその生徒を手で制し、話を続けた。
タコヤマ「先ほど人が殺された。ホテルの客室で。それで……、何か知ってるんじゃないかと……」
タコヤマは気圧され、どんどんうつむき加減になってしまう。
レッドパス「知らんな。初耳だ」
タコヤマ「そう……です…か………」
意気消沈したタコヤマは、小さくなった自分の身体を民宿の外まで運んだ。
◆民宿の外
生徒「タコヤマさん! 奴を放っておくんですか?!」
生徒「あいつですよ。犯人は。殺気が尋常じゃなかったですもん」
生徒「いやでもなぁ、何の手かがりもないだろうに」
生徒「もっと強く、問いただした方がよろしいんじゃ――」
タコヤマ「静かにしてくれ!」
沈鬱な雰囲気となったまま皆歩く。その中にツミキと云う、タコヤマの子分がいる。ツミキはタコヤマのすぐ後ろに伴いながら、提案した。
ツミキ「タコヤマさん、腕力のある人をたくさん集めましょうよ。僕が手配しますので」
◆100号室(タコヤマの部屋)
他の客室より広い100号室にタコヤマとツミキは泊まっている。そこへ人が集まった。
「ところでレッドパスが犯人という確証はあるんですかい?」
「奴がホテルの中を、うろうろ歩いているという証言があった」
「それに! あんな殺し方ができる奴が他にいるか?」
そこで雰囲気だけは煮詰まった様相になる。
「ああそうか」、「そうだそうだ」、「確かに。間違いない」
集団においては、感情が結論となることもある。
◆909号室
「大変です、刃沼!」
先程、朝風呂に行くため部屋を出たデガラシが、間を置かず戻った。のみならず青ざめた顔をしていた。
「すぐそこで、人が……人が……バラ…バ………ぅ」
口を押えてトイレに入った。嘔吐する音がした。そののち、出てきたデガラシは畳の上へ横になった。デガラシは目にした惨状を伝えようとするものの――
刃沼「いいよ。見てきたから。人がばらされてたね」
「あ…そうですか……」
伝える必要もなくなり、しばらくの間、深く長めの呼吸を心がけ、安静にしていた。徐々にデガラシの顔色は良くなった。
デガラシ「刃沼は平気なんですか? ただごとじゃないですよ。なぜそう平然としてられるんですか……」
「人生には色々ある、と気長に状況を見つめればいい。生きてるとね、時折、望みもしないのにスリリングな状況に放り込まれたりするんだ。――でも今は、心配しなくていい。私のそばにいれば大丈夫」
「そうですか。――考えてみると、そばに刃沼がいて良かったです。こういうときだからこそ、動じない安定した人のありがたみが分かります。……それと、……申しわけありませんでした」
「いいよ。私が守る」
「いえ、そのことではなく……。わたしが修学旅行を休んでいれば、と。刃沼は悪い予感がしたのでしょう? それを素直に信じていれば、と今では思います」
「過去を後悔するのは無意味だよ。今をどう生きるかで、得るものもあれば失うものもある。いいんだ、これで」
「刃沼は強いですね。こんなときでも前向きに考えられるなんて」
「生きるためには、前向きに考えざるえないからね」
◆ホテルの中庭
ホテルの中庭に、屈強な人たちが集まっていた。
タコヤマ「ずいぶん集めたもんだ……」
ツミキ「はい。運動部の方たちを中心に協力して頂きました。柔道部に空手部、ボクシング部に相撲部、剣道部、格闘技術部などなど30人近くおります。その力をケンカに利用すると、ただではすまない強豪ばかりです。今日だけは、その武力も、大目に見て下さるようお願いします」
タコヤマ「ああ、よし。分かった、目をつぶろう。(生徒たちを見回し)もうやる気にあふれているらしいな」
集まったのは力自慢な連中ばかりであった。
体力自慢達「俺なんか、リンゴを一掴みで粉砕できるぜ」
「なに、そんなの。私のこの指を見なさい。一瞬の油断で、お前の目玉もくり抜くぞ」
「私はこの剣で一度も負けたことがないわ」
「馬鹿野郎! 竹刀など相手になるか。オレがへし折ってやる」
「この中では僕が一番の強さだろう。今まで一度も負けたことはないのだから」
「フライングボディアタックで木端微塵だ」
ツミキ(腕が達者な方々を、集めたけど……。おつむの方はちょっと不安でね。でも、それなりに賢い人はみんな拒否してしまう。仕方ねぇもんな……)
集団に向かって云う。
ツミキ「今朝、人が殺されました」
体力自慢達「ああッ!!??」、「どういうことだオイ!!」
ツミキ「それで、民宿に泊まっているレッドパスという方が――」
と、云ったところで、激しい云いあいの声にかき消された。
体力自慢達「レッドパスだと!!! あいつがいるのか!!!」
「馬鹿だろあんた。ここに来る前の説明で、聞かされたろ! 聞いちゃいなかったのか!?」
「おい! おい! オイ! どこだ、どこだ、殺人犯は!? おい!!」
「そいつが殺人犯なんだろ!」
「殺人犯を殺人するんだな! そうなんだな!?」
「駄目だそんな奴は! ここにいる資格はねぇ!! 殺せ! ぶっ殺せ! 殴り殺すんだ!!」
聞き取れた人間の言葉はそこまでだった。あとはサルやゴリラの怒号の鳴き声に近いものだった。
「ギャウギャウギャウ、ギョギャァァァアアアア!!!!!」
「ウォォォオオオオオアアアア!!!!」
「ヴァヴァヴァヴァヴァアヴァ!!!」
集めた人間の組み合わせが悪かったのかもしれない。まるで互いに共鳴するように、どんどん怒り狂うエネルギーが増長している様だった。もはや手の付けられない危険集団と落ちた団体は、激流のように駆けだして、ホテルの外へと続いた。
ツミキ「これでレッドパスも一巻の終わりですね」
タコヤマ「ああ。うまくやったなツミキ。良い案配《あんばい》だったぞ。おれはよく知らんが群集心理やマインドコントロールをうまく利用したのだろう? お前がパートナーで良かった」
ツミキ「ははは……ありがとうございます。(本当は勝手にみんな狂い出しただけなんだけどな)」
いつからか人間の知性は落ちつつ悪化し、そして今に至る。それが異常なことだとは、一部の人間だけが知っている。
◆ホテル正面玄関前
荒々しい群衆がホテルのロビーから玄関に続いている。
群衆「奴を殺せ!」、「殺したものは殺せ!」
もはや殺意的感情の塊が動いているようなものだった。当人たちは事件について確認することもしていない。事実確認には関心がないらしい。
運が良いか悪いか、ちょうどレッドパスは、民宿を出てホテルへ向かう途中だった。向こうから流れ込むように迫る集団を、レッドパスはじっと見すえていた。
群衆「奴か? 奴なのか?」
「そうだ、そいつだ、そいつをやれえぇぇぇ!!!」
レッドパス(分かりやすい危険集団だな)
レッドパスは自らの拳《こぶし》を前へ、示すように掲げる。群衆は、先ほどまでの威勢が間違いだったように静まり返った。レッドパスの手前で群衆は止まる。睨み合いが続く。
レッドパス「予め云っておく――、俺を攻撃するならば、自分の死を覚悟しろ」
群衆は、怒り混じりの荒い鼻息をする。
レッドパス「その覚悟があるか。あるならば かかって来い」
そこはかとなく、どすの利いた声だった。互いに動かず。全身も後退もないまましばらくたつ。
レッドパス(この者たちは中途半端な覚悟でここへ来たのか)
レッドパスは少しずつ後退した。それを確認した群衆は、威勢を取り戻した。
群衆「やれやれやれやれれわああああああ!」
「あいつはビビッてるぞ! たいしたことねえぞ! こんなやつ怖くねえぞ」
「みんなでタコ殴りだ。皆殺しだ! 袋叩きにしちまえ!」
群衆は、敵の逃げ道を塞ぐように、囲みながら迫る。そして四方八方から殴る蹴るの猛攻。体中の骨を叩き折り、体のあちこちを貫き、八つ裂きに切り刻もうと張り切る。多勢に無勢。一方的暴行。虐殺の呈《てい》だった。
群衆の中から空中へ、何かが放り投げられた。それはやがて落下し、アスファルトに叩き付けられた。一部ねじ曲がった人体だった。レッドパスは生徒の腕を掴《つか》み、怪力をもって、その生徒を勢いよく振り回しては、他の生徒に叩きつける。そうして群集を蹴散らした。一部の生徒は武器を持っていた。それに対しレッドパスの武器は、さしずめ敵の人体だった。そう長くはかからなかった。誰も彼もがまともに動くことのできない状態になった。
レッドパス「意識ある者、良く聞け。人間の行動は、力のみでは無価値だ。思慮深さを大事にしろ。頭の無い怪物となるなら、滅びるのみだ」
その場を後にしながら思う。
レッドパス(……果たして、この者達には良い経験となったのだろうか?)
それから当分の間、タコヤマとツミキは隠れ過ごすことになった。